こちらも同じく、カリール・ジブランの詩です。
彼はレバノンからアメリカに移住し
1931年にアメリカで亡くなりましたが
1900年代、女性に選挙権がない時代に
こんな風に書かれているのが
凄いなあと正直思います。
日本では壮絶な戦いの末、
1945年(昭和20)のポツダム宣言によって
ようやく婦人の参政権が認められたぐらいですから。
一方、精神科医のアルフレッド・アドラーは
1890年に結婚。
書籍の中でこのような発言をしており、
またまたびっくりです。
それにしてもいつも思うのは、
何してんでしょうね、この写真のアドラーは。
「妻との対等の資格で、
妻と協力しなくてはならない
~中略~
よき結婚においては、
父親が稼ぐという事実は
家庭における分業の結果に過ぎない
~中略~
家庭に支配者はいるべきではない。
そして、不平等の感覚
を創り出すあらゆる機会が避けられるべきである」
第六章 家族の影響「父親の役割」より
偉人はやはり先見の明がある!!
さて、ジブランに戻ります。
結婚についての詩ではありますが
人間関係全般においても
理想的なものだと言えるのではないでしょうか。
結婚について(預言者)
するとアルミトラが再び口を開いて言った。
師よ。お話ください。結婚について。アルムスタファは答えて言った。あなたがた二人は一緒に生まれた。それで、いつまでも一緒なのです。共に過ごした月日を死の白い翼が散らしても、あなたがたは一緒なのです。まことに、神の静かな追憶のうちでさえも、あなたがた二人は一緒なのです。しかし、それほど一緒の二人のあいだにも、自由な空間を置きなさい。そして、そこに、天からの風をそよがせなさい。
愛し合っていなさい。しかし、愛が足枷にならないように。むしろ二人の魂の岸辺と岸辺のあいだに、
動く海があるように。おたがいの杯を満たし合いなさい。しかし、同じひとつの杯からは飲まないように。おたがいにパンを分け合いなさい。しかし、同じひとつの塊を食べないように。一緒に歌い、一緒に踊り、共に楽しみなさい。しかし、おたがいに相手をひとりにさせなさい。ちょうど、リュートの弦がそれぞれでも、同じ楽の音を奏でるように。おたがいに心を与え合いなさい。しかし、自分をあずけきってしまわないように。なぜなら、心というものは、あの生命の手だけがつかむもの。一緒に立っていなさい。しかし、近づき過ぎないように。なぜなら、神殿の柱はそれぞれ離れて立ち、樫の木と杉の木は、おたがいの陰には育たないのですから。カリール・ジブラン「預言者」佐久間 彪 訳
