本当の自分に還る為の指針アダルトチルドレンのあなたへ努力しているのに報われないあなたへ

いつも、わたし ばかり損してる、と感じている あなたへ

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いいかどうかは別として、
誰か、に、なにか、をやられてしまうこと、はあるでしょう。
また、いつもこちら側から”することばかり”で偏ってしまっていることも
含みます。

人は、弱いものです。
弱いから、いじめられたり、いつもこちら側が我慢したり、
こちら側がしてあげる側、であるならば
それはいつか心の中に何かしらの不平不満や暗いものが溜まってしまうものです。
そのままそれを抑え込み我慢するか、
誰か別の人にその抱えきれぬ思いを我知らずぶつけてしまっているかもしれない。

そうしてその抱えたものへの対応を、弱い、そのまま使えば、
いじめた人、ではなく、自分より弱い立場の人へ、
搾取した人、ではなく、言いやすい人へ、
黙らせた人、ではなく、正義と言う名の剣を振るうことが出来る人へ、
あなたはその心に溜まった暗いものを吐き出すことに使ってしまうことでしょう。


特に三番目の正義の剣は危険すぎます。
あなたは正義に酔ったまま、相手を断罪するからです。
例えば不倫した直接当人を知らない芸能人や他人へ、
何か犯罪を犯した人へ、ネット上で道義に外れた人へ、
はたまた子どもや部下や妹弟、後輩、など立場上言いやすい人へ。
それが搾取だとは思わず、
社会的、道義的、ルールを守る為にしたのだ、
相手の為だったのだ、
正義の為だったのだ、
と、善行をしたのだと感じながら。
確かにルールを破った人が善いとは思いません。
しかしわたしたちは神ではありません。
誰かを断罪することの必要があるでしょうか。
わたし達が出来ること、それは直接知りえる行為と人に関して、
寛容の心を持って(寛容とはルール主体ではなく、人主体です。
その人の状況、心情に応じて対応を変化させることだと思います)
この場のルールを共有し、守ってもらえるよう説得することではないでしょうか。

しかし人は強くもなれるのです。
弱くなれる、ということは強くもなれる、ということなのです。
その為にはしなくてはならないこと、があります。

あなたから搾取した人、
あなたをこき使って省みなかった人、
あなたを黙らせた人、
その当人に、あなたの心からの想いを返すこと、がしなければならないこと、です。
その行為が、そしてその行為を通じて、あなたは現実を直視する目を養い、
あなたの勇気を育む。

そう、それこそが真の正義の行為です。

だからこそ、その行為を通じてあなたは強くなっていけるのです。
結果、更に強くなれる理由があります。
それはその行為を通じて向き合うこと、それこそあなたに起った人生の課題であり、
あなたがされたことを、きちんと相手に返すことで因果応報の力学上は
暗い何か、が「0」となるからです。
呪われたら返す、と、忌返しとは本来そうしたもので。
呪ってきたら、呪った相手に同等のものを返さないといけないのは呪い、というものが
終わらないから当人へ返さねばならないのです。

そうすることで呪い=暗いもの、が「無」=0になるから、です。だから無関係な人にしてはいけない、 のです。発した人が、発せられた人へ、同等のものを返す。
それで、終わる。
終わりは始まりに通じます。
そう、その時あなたは0からスタート出来る。

なにも何かしてきた人に喧嘩を売れ、と、言っているわけではありません。
自分の中で相手に対して暗い気持ちをキチンと意志表明すること、です。
もし言えるのなら本人に言いましょう。
喧嘩ではありません。
この歪な関係において感じた感情、思ったこと、感じていること、をあげて、
なのでこの関係は終わりにしたい、距離を置きたい、本当はこう思っていた、今まで伝えていたことは違っていたのだ、と伝えること、です。
もしかしたら伝えるべきは自分自身かもしれないし、憎んでいた、と言いたいのではなく愛していた、
かもしれない。とにかく本心を、その人、に正確に伝えることです。
あなたがしてあげてばかりの共依存なら、その関係を解消し、
なぜ自分は過剰に人の世話を焼いてしまうのか、という自分の気持ちの初発の部分と
向き合う必要があるでしょう(そうしなければ、その関係を絶ったとして、他で同じような
関係性を築いてしまい、人を変えただけだったということになってしまうからです)

だから、
何か心が満たされない、
何か人間関係がうまくいかない、
アダルトチルドレンのまま抜け出せない、
そんな人は、
あなたの本当に望んでいること、
あなたが本当に言いたい人、
あなたが乗り越える、向き合う対象、
それをちゃんと見定めていないからです。

世の中に楽したら、インフルエンサーの真似をしたら、よくなる方法なんてありません。
でもあなたがちゃんとした眼差しで、あなたの事実を見たならば
見えてくる本来の姿はあるのだと、わたしは思います。
都会の汚れた空気で見えなくなってるけれど、本当は満天の星が空にあるように。
本当はあったものが見えてくることで、あなたの魔法は解けて見えてくることでしょう。
前からあなたの目の前にあった真実に気づくことが出来るのだから。
その時どんなものが見えたとしても、きっとあなたは美しい、そう感じるのではないか、と
わたしは思います。

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