体から変容を促すアプローチの提案

生きている、実感が、ない

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紅白にてまふまふさんを初めて認知しました。
この前BTSをSDGsの新しいなんかと間違えて小学生男子にバカにされた心理セラピストあらたです。

 

BTSってレインボーなカラーの頭をした韓国の男性グループなんですね。
韓国のあちら系の音楽はAI作曲で男女問わず同じに聞こえるし人数多いし、同じ顔に見える、全くわからん。(昔のおっさんと言ってること同じですが)

ただ無茶苦茶、氣が悪い。あんまり聞かない方がよいかとは思います。

歌謡番組とか全く見させてもらえない家だったので、昔の流行りも知らないんですけどね(ドラえもんを知らなかったのわたしだけでしょう、小学校一年の思い出。初めてドラえもんを知った時の感想はいまだに覚えています。「猫型ロボット?って、これはネコじゃないたぬきだろう…」)

 

それはさておき、もふもふ、じゃなくてまふまふか。
その人の歌った歌、命に嫌われてる、でしたか。

感想は、生きてる実感が持てないんだなー、ということでした。
そういう人が歌詞を作り、曲を作り、そういう人が歌い、そういう人が良いな、と聞く。

 

昨今のあちら系?(ボーカロイドとかそれだけじゃなくてアニメや小説もどきみたいのも)やたら説明でしょ?
この命に嫌われている、も、そう。解説の歌なんだよね。余韻、とか、間、とか、行間、とかないよね。
鬼滅の刃とかも。主人公ずーっと説明してる。

ジャンプの戦いって解説多いけど、昔は主役より脇役が「おお、あれはまさしく・・・」的な解説が入るけど、自らぶつぶつ言うのは珍しいかな、と。ケンシロウも悟空とか昔の主役は語りませんでした。(叫んだりしてるけど)

 

これはデジタル情報に溺れた生き方をしている、
と言ってもいいと思う。

目で生きてる、映像で生きてる。
その目に飛び込んだ、”それ”の衝撃だけで生きてる、というか。

何か情報が入った、それそのまま、なのね。
受け取って、それを吟味して、熟考して考える、をしない。
即効性、効果、効率性、が欲しい。
他、いらない、みたいな。

 

そうねえ、リンゴしか見てないっていうか。
リンゴの実った木を目の前にしてるのに、りんごの実しか見てない。
リンゴを取ろうとして、根元を乱暴に踏みしだき、枝がしなるかおれそうになるのも気にせず、葉が落ちることも分からずもぎりとっているのに、それを分からない、というか。

 

なんでそうなったか。

デジタルという視覚での刺激(イヤフォンで聞いてるって耳直撃でしょ。音楽って本当は全身で聴くものだからね、肌には音の波を感じる器官があるしね、肌の状態変わるんだよ)の洪水に翻弄されて自分を見失ってるから、でしょうね。

 

無我夢中というのは、
自分の中心に意識はあって、そこから拡がっている、自己を超えた状態=フローへの道です。

 

が、このデジタル洪水に溺れている状態は、自我自体を手放してしまって自我自体が行方不明です。
ただただやってくる情報(自分に必要不要関係なく)に圧倒されている。呆然自失、とはこのことです。

 

そもそも情報は

①選択する

②受け取る

③考える

④寝かせる

⑤再度考える

⑥他の情報と比較する

⑦寝かせる

⑧自分の考えへと至る

 

というステップを何度も巡回し、経て、一つの情報を消化吸収し自分のものとする、ものです。
しかしその流されている人、圧倒されている人、は

①見た=瞬間の感情
(びっくりした!面白い!悲しい!変!)

 

で終わっているのではないでしょうか。

これではどんなに数多くのもの=情報、と遭遇したとしても、しただけ、で自らの血肉にはならず、その瞬間の感情(感情の特性の一つ。感情とは本人が意識しようがしまいが瞬間に生まれるもの)のみがその人の肉体に蓄積されていく。
しかしその感情を味わう暇もなく次の刺激へと目が移りしていく。それを忙しい、忙しい、と感じている。

 

そりゃ、そんなことしてたら生きてる実感も沸くはずもないでしょうね。自分を見失い、感覚を目=脳の刺激のみ、で生きてるのだから。

 

実態、実感、無我夢中、「やってる感」を感じないで、生きてる。
手を自ら動かし、重みを感じ、歩き、バランスを比較して、生きる。
昔の剣士やらは、目で見てないですよね、敵の存在も攻撃も。身体すべてで感じ取ってる。身体、と脳と、その人すべてを丸ごと使って豊かに生きてる。

どんなに物質や情報が豊かでも、それを感じる、受けとる受容体がなければそれは認知されないのだから、ない、と同じです。

一言でいえば、ある意味どんどん鈍くなっている人が増えている。
だから内容も過激な話に、悲劇は深く、設定は絶望的に、はっきり、わかりやすく、しないと理解できない。刺激を多く、大きくしないと気づけないくらい鈍感。
自ら行間を読む、とか、熟考する、をすることをしてくれないから。

 

文章を読む、のが面倒だからユーチューブで、とか?
ユーチューブなら映像、音声、と刺激多いですからね。

でもわたしのような昔ながらの人間からしたら、文字なら全体をざっと眺めて主旨をつかんでから自分の速度で読めるので、正直、映像での解説なんてまどろっこしくて付き合ってられないです。10分で伝わる内容を読んだら3分ぐらいでしょ。映像ならでは、の解説は喜んで見ますけど。

 

あるカウンセラーの人が今は文字を読んでくれないからユーチューブにしたら集客になる、とか言ってましたけど、わたしからしたらそんな文字読むのが大変だから、というクライアントさんは正直お受けするのは難しいと感じるので、どうかな、それ、って思います。
自分と対峙する、という作業は大変ですから。

 

ということで、まふまふさん的なもの、韓国アイドル的なもの、に惹かれる人は生きている実感が乏しく、地に足を着け、自分を生きていることが抜けてしまった状態の人が惹きつけられるということです。

 

で、そこから抜け出したい、としたらですね。

①スマホ断ちをする

②山に登る
/農業や畜産、林業など自然の中で肉体労働をする

ということを10代なら最低一週間、それ以降の人なら2週間続けてみると感性が蘇ってくると思います。
肝心なのは①スマホ断ちでしょう。

あ、こんな体験してるわたしインスタ映え、するから撮りたい!!これがいかんのですよ。

体験はあなたの中に、あなたの皮膚に、あなたの五臓六腑に染み込ませる時間が必要なんだから。
それは体験している時、しか出来ないのよ、そこでインスタを中心に意識するか、自分で味わうを中心にするか、ということなのだから。


なので

「命に嫌われてる」を聞いてよかった、と思ったけど…でもなんか虚しい・・・そんな人はやってみると良いですよ。
因みにわたしは特に好きではないですが、去年の紅白は氷川きよしの歌が染み入りました。そして休業宣言、なるほど、となんかすごく納得しました。歌上手いので捨てないで欲しいな。

(わたしの子どもが昭和歌謡が好きなので尾崎豊を紹介したのですが、コンサート映像を見て驚きました。MCでいきなり何かを客席に投げてからピアノに座り、おもむろに「今投げたのは俺の夢だから大切にしてくれ」と発言。
わおう、思わずわたしが赤面しながら自分のチャリで走り出しそうになりました。昭和濃いな…いや尾崎豊だけ?彼、今の人から見たら暑苦しい人だよね。汗だくだし)

 

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