母へ
わたしは生まれつき心臓に欠陥がありました。
未熟児として生まれ、飲まない、笑わない、動かない。
産まれてしばらくは保育器に入っていました。
わたしは目が見えていないはずですが、
そのガラス越しに見た風景を覚えいます。
母は大変だったと思います。
2歳になる直前の年末、突然ぐったりしたわたしを抱え
近所のかかりつけのお医者さんに飛び込んだ時、
恩師であるそのお医者様は母の顔をまっすぐ見て言いました。
「今すぐに大学病院へ行きなさい。
年末で嫌がられようが、どんな顔をされようが
絶対に、帰ってきてはいけませんよ。」
案の定、診ることすら断れた母は居座り続けました。
冬の寒い時期、しんしんと冷える電氣すら嫌がらせで
消されたロビーに15時間以上、居座り続けてくれました。
根負けした病院が診た瞬間、
医者の顔色が変わったのが忘れられないと母は言います。
ばたばたと慌ただしく入院準備が始まり、
私の長い病院生活が始まったのです。
大人になって思うに、かかりつけのお医者さんも
わたしの状態は心臓だろーなーと注意して
経過を見てたらしいのですが、母にはパニックになると
言わないでいた、とか、
年末のあの日、大学病院に先生が知らせてくれたら?とか色々疑問は
あるのですが、まあ、そうした昔の事情だったのかと思います。
なにはともあれ、わたしは命拾いをしたのでした。
その後弟が生まれ、色々あったけど、わたしの命を産み出し、
救い、育んでくれたのは、やっぱり母でした。
ありがとう、まだ面と向かって言うことは難しいけれど。
ただ、今わたしは中学の頃に誓ったことがあります。
家を護る為に、母の家系の女性たちが
苦労した女性の呪いはわたしで終わらせる、と。
母をあの土地と家から開放するんだ、と。
わたしには娘がいます。
娘はわたしはお姫様♡とか言って育っています。
もう、大丈夫。
どうか、自由になってください。
お母さん、あなたはもう自由です。

著作者:inoc
父へ
甲子園のサイレン、あれを聴くと子どもの頃から
意味もわからず激しい感情がこみあげてきました。
”表現できない安堵感と懐かしさ、強烈な青空、
そしてどこまでもどこまでも続く解放感”
父の戦争体験を聞いたことがありましたね。
その時、あなたは言いました。
玉音放送がラジオから流れてきて、
聞いた後畑に向かって水をまきながら、
戦争が終わった!戦争が終わった!戦争が終わったんだ!!
と思った時の安堵感、それと
すさまじい解放感と青かった空を。
あの時、泣いた人などいなかった。
終わった、終わる、終わったんだ!
とみんなほっとしていた、と。
そう、畑で見たあの時見上げた空、と。
あなたのその強烈な体験はきっと細胞に深く刻まれ
わたしに伝わったんだと思います。
甲子園の側で生まれ育った父。
だから甲子園のサイレンでわたしに
父から受け取った記憶が呼び起こされるのでしょう。
身体に氣持ちが残るというけれど、そうなんです。
細胞に想いが刻まれているのをわたしは知っています。
あの強烈なシンパシーは無視しようがありません。
父さん、あなたの記憶、確かに受け取りましたよ。
引き継ぎましょう、二度と戦火が起こらないように。
わたしは行動していこうと思います。
* * * * * * * * * * * * *
記憶は細胞だけではなく、空間にも、物にも残ります。
自殺の名所とか、どことなく感じるでしょう?
ふと、わたしは思うのですが(妄想とも言う)、
量子力学の言うゼロ・ポイント・フィールドにあるのは
知恵とか知識で、感情は身体や空間に残されるのではないか、と。
※訂正追記10/22 ゼロ・ポイント・フィールドはそこかしこにありました。なので空間の感情もZPFでございました。 まだまだ勉強中…。
土地に、物に、記憶は残るから。
なので皆様どうか、日々をなるべく氣持ちよく過ごし
次世代へと歓びのタイムカプセルを引き継いであげてください。