Arata stand by you指針
わたしの基本理念は”人間志向心理学”です。それは”人間は誰しも素晴らしく、またその人本来の力を発揮できることこそが”その人の幸せである”という考え方です。
まだお逢いしたことない あなたへ、ご挨拶に変えて
信じる、見守る、そして待つこと、
それは”人を愛する”ということ、
そして”あなたを愛する”ということ
なぜなら人が本当に輝く時、それは何かに希望を見出した時ではないでしょうか。それは自分自身に可能性を感じた時です。それは自分自身を信じ始めた、ということ。
そしてそんな あなたをまた無条件に信じてくれる人がいたら人は強く勇気を持って生きていくことが出来る。どんな困難も乗り越えられる。
だから信じる、とは、信頼する、あなたを愛すると言うこと。
また人は一人では生きていかれません。あなたを信じ、また信じられる、と言う相互作用、つまり心の交流を通じて初めて人は生きていかれるのです。
研究者の方々は沢山の臨床、実験と貴重なデータを収集し整理し論文にまとめ、わたしたちに知識を与えてくれます。
例えば、心理学の世界で発達心理学では発育にあたり年齢ごとに発達に必要なこと、何をどの段階で認知しているかなどの仮説を立て、実験を繰り返し、データを集め立証してくれています。
その一つに、一歳半までの育成環境までの影響が大きく生涯に渡り続くことがデータから出されています。また脳は4歳までに驚異的に成長する為、良い悪い関係なく影響を最大限に受けます。
その幼少期にマザリングなどが上手くいかなかったならば、その人はもう愛着障害などの生きづらさから抜け出れない?
もう取り返しはつかないのでしょうか。
研究者は言います。
「我々はそうだ、と言わざる得ない」
この様に研究データは ある種の答えを導きだします。学術的に貴重な示唆があり、学ぶ上で参考になり重要な指針、知性の記録です。
でも命の、生命の、本質とは、それを超える可能性と希望を内在しているということに他なりません。
AIとの違いはそこにある。
あなたはロボットでも物でもない、生きた命そのもの。
実践的に言えば、例えば脳は30%しか働いていないのだから、そこを動かせたなら?本人が本気になったならばその未知なる70%を引き出せる可能性がある筈です。
そこにクライアントさんとセラピストが希望を見出していく作業が心理療法やコーチングである、とわたしはとらえています。
そう我々、臨床家(心理セラピスト)は役割が違うのです。
そこに可能性=光 を見出すこと、その光を諦めないことで、あなたが生来持っていたパフォーマンスをあなたの手に取り戻すお手伝いをすること、それこそが臨床家の仕事だと わたしは思っています。
ですから、先ず目の前の”クライアントさんには可能性がある”、と無条件に信じることをします。
いや、そもそも信じるとは条件があってはいけない。無条件に、ただ目の前のクライアントさん、つまり あなた自身、そして あなたの生きる力を信じ切る。あなたはあなた、それ以上でもそれ以下でもない、あなたがいる、それを存在承認すること。
前にクライアントさんから
「”わたし自身がわかっていなかった わたし”それを本当に理解し、行く先を照らしてくれた。それがとても安心できた」
そう言って頂いたことがあります。
また他の方々から
「まだ、このわたしを信じてくれるんですね」と驚かれたことがあります。
勿論です、信じますとも。
あなたを信じ、あなたの存在を認め、受け入れ対等な命として愛すること。
それをどこまで出来きるか、それは わたしという人間が人としてどう存在するかが問われる瞬間でもあります。”クライアントさんの”ありのまま”を受容し、あなたの可能性を信じ、勇気付けられる存在でいられるだけの人間性を持ち得ているか”、と。
そうした上で、
”治療者は患者にまさる賢者として、判定したり相談したりするものではなく、一人の協同者として個性発展の過程のなかに、来訪者と共に深く関与していくものである”
寄り添っていく。
あなたがセッションの中で癒されて成長していく過程を共に生きていく。
Stand by you (あなたの隣に立つ)、自分の屋号にそうした決意を込めました。
時に自己回帰セッションの感想でわたしに叱られた、と あることもある、という人もいる。
そう、確かに厳しい言葉※も時には投げかける。あなたがもし間違えていたら間違えている、そう真心を込めて、伝えられなくては。それがあなたをきちんと見ている、という誠実な態度だから。そしてそれは わたしが あなたが乗り越えていける力を内在していると信じているから。
つまりは”あなたを無条件に信じる”から他なりません。
また本当の意味で時に真摯に苦言を進呈できる厳しさも愛である、これこそが嫌われる勇氣の真の使いどころだと わたしは感じています。
(※ただし傷を癒すに特化した心理セラピーでは、こういう直球の言葉は投げかけませんのでご安心ください)
そしてあなたが自分を受け入れた先に、
”わたしはこんなことも出来るんだ”
”こんな ぼくも居た”
そんな風に自分を再度発見したり、感じて頂けたなら、わたしはとても嬉しい。
”おれも結構いいじゃないか”
”わたしは わたしに生まれてよかった”
あなたが明日の あなたに期待でき、
あなたが あなたらしく笑い、
あなたが あなたらしく表現し、
あなたが あなただけの夢を実現する力があるのだと、
そう あなたが腑に落ちることが出来る様、
尽力を尽くして参ります。
長くなりましたが最後に。
この仕事を通じ、わたしは”生命賛歌の愛”が拡げられることを誇りに思い、日々精進していく所存です。
ありがとうございます、あなたとお逢い出来る日を楽しみしております。
レゾナント心理セラピストあらた
信じる <谷川俊太郎>
笑うときには大口あけて
おこるときには本気でおこる
自分にうそがつけない私
そんな私を私は信じる
信じることに理由はいらない
地雷をふんで足をなくした
子どもの写真目をそらさずに
黙って涙を流したあなた
そんなあなたを私は信じる
信じることでよみがえるいのち
葉末(はずえ)の露(つゆ)がきらめく朝に
何をみつめる小鹿のひとみ
すべてのものが日々新しい
そんな世界を私は信じる
信じることは生きる みなもと
”レゾナント心理セラピスト”の特徴
肩書きのレゾナントとは”共鳴する” という意味です、それは潜在意識のセッションではクライアントさん自身の身体の響きとどこまで共鳴する(=共感)出来るか、が、セッションの効果に影響するからです。またその共鳴の深さが、わたしの持ち味でもあります。
この肩書は大事な長い長い時を隔てて逢った友人がつけてくれた名前です。今はまた離れてしまったけれど、この名前共に、ある意味、彼女と共に進もうと思う。
その深い共鳴こそ、あなたを真に理解すると言うことなのだから。
あなたの潜在意識と言うあなただけの表現に満ちた豊かな海原をご案内させていただきます。
⇒ あらたの共鳴能力の解説はこちら
さて、どんなセッションでも原理原則として心理セラピストが潜在意識の奥に入る(脳派で言えばα波からβ派→θ派へ)ことで共鳴が起こり、クライアントさん自身の脳波も変化します。結果、変性意識状態(軽い催眠状態=β派またはθ派)へといざなわれ身体にある感情と叡智を含んだ感覚、つまり本当の心=魂へのアプローチが可能となります。
ですから心理セラピストとしての力量は、この深さと行く場所の正確さ、またクライアントさんの状態を正確に観察することと言えます。これは自信をもってやれると自負しております。
わたしはクライアントさんの状態のエネルギーの流れを感応し、怒りや悲しみは浄化しながら、よりダイナミックに変容を促進させるベストタイミングでアプローチしていきます。
更にソマティック(身体性)心理学という心身関係を重視し、身体、意識、感情+叡智(Body・Mind・Spirit)=”あなた”とみなし、深い潜在意識へと働きかけていきます。それは言語だけでなく非言語な手法も統合的に使い、「あなたとは”本来どんな人”であるか?」
と全身に問いかけていきますのでよろしくお願いいたします。
療法について
●「心理療法」
フォーカシング指向心理療法・インタラクティブフォーカシング・ソマティック心理療法
・ゲシュタルト心理療法・交流分析 再決断療法・感情解放療法・インナーチャイルド療法
・NLP・ハコミメゾット‥など
●「身体系ワーク」
横隔膜整体・クラニオセイクラルセラピー・アレキサンダーテクニーク
コールセッションについて
コールセッション(電話・無料通話ツール等)でも、わたし側の共感能力は変わりませんが、”ご自身の心”を感じることから距離を置いてしまった方などは対面セッションの方が、ご本人の満足度と感じる力は強くなる傾向にあるようですので、遠慮なくご希望であればご相談ください。
あらたってこんな人
好きな事:
街歩き・カメラ・演劇鑑賞・美術鑑賞・読書・外でのご飯・犬との散歩・日本酒と赤ワイン・焚き火・
尊敬する人:
タモリ・ユージン T. ジェンドリン
特技:
薪と窯で米を炊き・発酵食品を作ること・浄化?
苦手な事:
境界線を越えて来る人
名前(セラピスト名あらた)の由来:
わたしが自分の人生に空しさを覚えた時、「自分自身に人生を取り戻したい」、そう思いました。他人の為ばかりに生きてきた、これは違う、わたしの人生ではない、と。その時、新たにやり直すんだ、と、そう決めました。わたしはわたしの人生を今度こそ生きる、と。
その時の想いは本当に強烈でした。
ですからセラピスト名に、同じように苦しみ、取り戻したい、そう思っている方へ向けて
「あきらめないで、あなたの人生をあらたに始めよう」という想いを込めそう名乗っております。