セラピスト・カウンセラーの選び方

わたしが実験者、体験したからわかる、教えられる、というカウンセラーやセミナー講師を お勧めしない理由

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確かに心理系の仕事、整体や針、マッサージなどのボディワーカーの人は大抵、その分野で悩んできた人、がその道に入ることが多いです。そうじゃない人は珍しいかもしれない。
少なくとも8割はそちら系ではないかと思う。
わたしもきっかけはそうでした。

けどね、悩んだ末、救われて方法を更に探求した結果、これがその方法である。
これがやり方だ、自分で実験したことだから分かる、正しい、という人を多く見受けますが、最近本当、違うよなあ、と思うのです。

きっかけはともかく、わたし自身もそうでしたし自分で新しく体験した体操などで効果があると思ったものを再度体系化してお勧めすることはあります。

だかしかしあえて言いたいのはそれは素人の話だな、と思うのです。

やはりプロというべきか仕事というべきかわかりませんが、セッションに責任を負う、という立場になった時、それでは足りない、と思うのです。

なぜなら自分の体験なんてほんとうに一つの事例に過ぎなくて、それに縛られたりその中で、世界感の範疇で観てしまうなんて、それで本当にクライエントさんのことを”知れる”いや”あなたを本当に知ろうと歩み寄る”ことができるのでしょうか。

わたしは出来ないと断言できる。
似たような機能不全の家庭で育って、同じように長女で母親が似たようなことをしてきただろう人であっても、そう、条件が似通っていても、
でもその人にとりそれぞれのストーリーがあって、全く違うからです。
それがその人の物語だから。

なぜ最近更に強く思うか。
役者さんの演技を観ていてふと思ったことがありました。
上手い役者さんは、犯したこともない犯罪者を演じることが出来るのは何故なんだろうって。体験の枠の中だけではそれは無理でしょう。
でも同じようなああこの人の演技って誰を演じても自分キャラでしか演じられない人と変幻自在にキャラに染まる人って何が違うのか。または、その演じる役を自分の方へ寄せてきて本当にそういう人が存在するのだと逆に世間を洗脳してしまう世界観を持つ人との違い。

素晴らしい役者さんは体験がないことでも、その人になりきれる、のです。

わたしはそれは役者さんが観察する目、を持っていること、そして役を純粋に受け入れられる人、(カウンセラー的に言うと「”役=という人格”を受容する能力の高い人」)と言えると思うのです。だからどんな役、でもこなせる。(得意不得意はあるでしょうが。しかし何をやってもキムタクはキムタクだよね、って言うのとは違うということです)

だからどんな仕事でもそうでしょう?
自分内での体験の範疇でしかしない人、ではなく、
それを超えられるセンスの人、を選ぶのが望ましいと感じます。


セラピストやカウンセラーとして感じるのは、

わたしと同じように苦しんできたよね、体験者だから分かるよ

そんな風なアプローチだけで来る人、これは素人だなあ、と思います。


そういう狭い世界にいる人には行かないようにされてください。


職人さんのように信頼できる人、に託してください。
職人さんからは自由・平等・自信を感じることが出来るはずです。

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