めだか育成中に想う、小児病棟で暮らした思い出と命のこと

子どもが学校のプールからヤゴを引き取りついでに今年の7月からメダカを飼育中。

卵をたくさんたくさん産むけど、なかなか大人にまで生き残るのは少ない。
水槽を別にしてるから親に食べられたというよりも、自然淘汰としていなくなってしまう。

卵、針子、子どもメダカと順を追うごとに…。

わたしは生まれつき心臓に欠陥があり
3歳まで笑わない、飲まない、ハイハイしないの出来ない三拍子でした。
ありがたいことに3歳で手術をしてから通常者とまったく変わらない生活です。
ただ、手術しなければ20歳以上は生きれなかった。

今はだいぶ意識下からなくなりましたが、
昔はよく病院の記憶が蘇りました。

手術台の光の眩しさ、台で運ばれていく時の恐怖、
襲ってくる苦痛、苦しさから寝れない永遠のような明けない夜。
針の感触、点滴の束縛間、薬の毎日。
朝から何本も打たれる注射。

夜中、騒がしいベッドがあるとあくる日は空になっている。
小児病棟では珍しくない風景。
誰かが旅立った後の空氣はいつもと違って。
そう、あの頃の小児病棟は無事退院が難しい時代でした。
その空いたベッドの存在の虚無感、存在の軽さは上手く言い表せません。

退院し、今だ生きているわたしはそんなに重たい病ではなかったし、とても幼かった。

けれど、その風景はよく覚えています。

そんな記憶があるせいか、子どもの頃は繰り返し繰り返しサバイバルゲームの様な夢を見ました。
よくわからない場所でいきなり3人ぐらいでじゃんけんを始めるのです。
で、誰かから言われる。
負けたら殺されるよ、と。
勝ったら殺されないけど、仲間が死ぬ。
負けたら殺されてしまう、どちらも選べない。

一回だけ、母が高校生になったわたしにぽつり、と言ったことがあります。
もう一人兄弟がいた、でもあなたの入院生活で流産した、と。
あなたが殺したのだ、と。

なんでわたしが生き残ったんだろう。

理由はわかりません。
いや、理由なんかなくていい。
幼くして天使になってしまった人にも、
理由なんかないんだから。

ただ、生きてる。
理由を考えるのは、
死んでからで良いのかもしれない。

ただ生きてるから、その間は笑おう。

それでいいじゃない?
それ以外なんかあるの?
生きてる間じゅう、植物、動物の命の犠牲の上に人生を築くんだから。

その命の為に笑って。

笑ったら、光が生まれるよ。
それが生きてる理由でいいじゃない。
それで生きてたっていいじゃない。
それ以上に生きてる理由なんか、ないじゃない?

なんて想う、午前中の水槽前。

タイトルとURLをコピーしました