「虹の彼方に」
有名なオズの魔法使いのテーマソングですね。
青く澄んだ虹の彼方に一切の悩みがない、信じた夢が叶う国へ
わたしは行くのだ
さあ、虹を超えて行こう
そんな素敵な歌詞です。
ドロシーを演じ、この歌を歌った少女の晩年を映画化したものを観ました。
「ジュディ 虹の彼方に」
基本的に子役という道を歩んだ人は典型的なアダルトチルドレンになるので私生活で苦しい方が多いですね。表向きはお金と名声を一時は得ますが(ガーランド=ドロシー役の女優、は晩年お金も苦しいのですが)アメリカのセレブたちの子どもが麻薬に溺れたり、離婚を繰り返すのはそうした歪みが親から子へ伝わるからです。ジュディ・ガーランドもそうした一人でした。
昔の映画界は(今も?)それは酷くて、
太ったらいけない、
撮影スケジュールの関係でほぼ24時間拘束され自由な時間はなく、
いつでも対応できるように夜中でも起きていなくてはいけない、
ということで食べることは禁止(若い女性からスイーツ禁止どころか徹底した食事制限)と麻薬を与えられ、撮影スタッフから社長からのセクハラは日常茶飯事だったと言います。眠ってはいけない、と麻薬(覚醒系)を与え、今度は寝れなくなったジュディに鎮静系の麻薬を与えてなだめすかす。
矛盾だらけもいいところです。
お前は醜い、太ったら商品価値がなくなる、食べるな
お前の代わりはいくらでもいる
出してやってるのだからなんでも従え
わたしが笑え、と言えば面白くなくても笑え
カメラに向かって楽しそうに微笑め
お前が失敗したらいくら損失が出ると思ってる
そして周りから、常に、評価、評価、評価…
大勢の観客の前に立ち歌う圧倒的なプレッシャーと恍惚感
そう大人に囲まれ自由も同年代と遊ぶことも出来ないでいる少女に恫喝し見張る大人たち。
その彼女が歌う歌が、”虹の彼方に”
信じた夢が叶う国へ行こう、と歌わされる。
どんな気持ちだったんだろう。
歌うたびにどう感じたんだろう。
歌詞の一部に”すべての悩みはレモンのしずくになって溶けていく”とあります。
苦悩なんてないんだ、そんな国、不安も危険もない安全の国へ行こう。
そう歌う少女に自由も尊厳もなにもない。
彼女の感情すら、ない。
すべて商品。大人の商品、髪一本も自分の意志ではない。
奪われた人生。
なんて、悔しい。
なんて、悲しい。
なんて、切ない。
ジュディは5回結婚と離婚を繰り返し、そして自分で命を終わらせようとしたこともあります。
その際、傷つけた場所は喉でした。姉妹の中でも歌が上手いから、と親に芸能界へ売られたのに。
自分の才能のある喉を傷つけたのはどんな想いだったのか。
この映画は若いころのそうしたことは綺麗な回想シーンで描かれ、主な話は晩年再起をかけたジュディがアメリカを離れロンドンで挽回しようとする部分がほとんどです。(そうした過去の映画界のエピソードは別の映画であるらしいです、ドキュメントだったかな)
この映画ではイギリスで実際にマネージャーとしてジュディの世話をした人が監修に加わっているので舞台裏の小さなエピソードはきっと本当なんだろうな、と思うシーンがあり、そこが救いであり、わたしの心に焼き付いています。
どんなシーンかと言うと、映画の終盤、マネージャーたちがジュディの為に開いたねぎらいのお茶会の席でケーキをためらいながら、一切れきって、そしてまたそれを小さく小さくして、その小さな欠片をやっと口にいれて、「おいしい」とほほ笑むシーン。
この映画は冒頭から親子でホテルを渡り歩いたり、元夫の家に行ったり派手なパーティのシーンなどがあるので自然と食事のシーンが出てきてもいいのですが、あえてジュディが物を口にするシーンはここともう一つ回想シーンのみ。あとはひたすら煙草を吹かした姿しか見せません。
そこのシーンを見ると、
そうだよ、ジュディ食べていいんだよ、もっと食べていいんだよ。おいしい、食べたい、って感じて自分の思うままに食べていいんだよ。もっと食べてよ。食べてちょっとふくよかな、あなたも可愛いって言ってくれる人は絶対いるし、食べたいって自分が満足いくまで食べて満面の笑みを浮かべてごちそうさまって言う(アメリカ人は言いませんが)心から幸せそうなあなたを見たいんだよ、そうジュディに向かって叫びたくなります。
もう一つは予告にもある、ステージに最後、毅然と向かうシーンです。
わたしは歌いたい、と。
ここでもわたしは彼女に語り掛けたくなるのです。
そうだよ、歌に苦しめられてきたよね、あんたの人生を狂わせたのは歌かもしれない。そして他人が羨む物をたくさん持たされた時期もあったけど本当に望むことは無視され奪われた人生だったけど、歌だけは、あなたは自分を解放して尊厳を取り戻す時間でもあったんだから、自信をもって胸を張って歌ってくれ。誰の評価も気にすることなく、気持ちのままに歌ってくれ。
自分の為に、どうか歌ってくれ、と。
実は観たのはかなり前で、何度も映画館で観て記事にしたい、と思いつつ、どうこの思いを書いてよいかわからず寝かしたままにしておりました。今書いてみたけどやっぱりわたしの中にある想いは正確に言語化出来ないなあ、ととりとめのない散文になってしまいました。
まあ、いいか。
白黒映画の虹の彼方へより、わたしは大人になったジュディの虹の彼方が、いい。
煙草を吸いすぎて(無理なダイエットの為でしょう)かすれた声が味がある。
傷ついた喉や心だからこその味がある。
それに夢なんて叶うはずがない、現実なんてそんなもの、って絶望してるジュディだけれど、
その歌を歌う時だけは、だんだんジュディがその青い鳥のように飛んで自由になってるような気がするから。
※ちなみにLBGTの象徴レインボーカラーはジュディの虹の彼方に、から来ています。彼女の父親が同性愛者であった為、あの今よりもその指向の持ち主というだけで壮絶な差別のあった時代からジュディは親しく交流していたからです。(ただし父親の性的思考が奥さんであるジュディの母親に判明したのがジュディを妊娠中の出来事で、その事実が彼女がジュディに冷たくあたった原因だ、という話もあります)