父に あなたの娘より
夏が、来たね。
初夏に母のわがままで行きたくなかった旅行に行き、帰宅してからガタガタ体調を崩して入院してあなたの命のカウントダウンが始まった、夏が、来た。
蝉が鳴く中、毎日、自転車であなたの病院へ通ってマッサージしたね。
でもそこの病院ではどうしようもなくて更なる検査の為に遠い病院へ転院か、となって
「もういいから、帰りたい」そうあなたが言って、あなたは家に帰ってきた。
あなたは最後までわたしを守るというよりはわたしに守られて逝った。
生きました、と言ってもいいのだろうか。
死にたい、苦しい、と言い、あれが飲みたい、と言い、殺してくれ、と言い。葬式はしなくていい、色んなわがままを言って、うん、最後まで頑張って生きましたね。
母は、あなたの妻は独裁者、でした。
か弱いふりをする支配者タイプであなたは様々な社会的、家庭的環境から婿養子のような立場と心で母と一緒になりました。自分の父が早世してしまい、長兄は職場恋愛でさっさと結婚し家を出て、あなたは弟と母を養う為に夜学に通いながら生まれた関西を捨てて東京で生きてきました。
あなたは離れた年の弟の高校と大学の費用を賄いながら寡婦となった母を抱え、長男のような役割を果たしていたのに、実際には長男が別にいたため、威張ったり、褒められたする特権はその長男にとられてしまいましたね。
母の父にあいつは鋭すぎる、切れすぎる、そういわれるぐらい頭は良かったのに大学も希望するところではなく、受験費用がなくて、働きながら行かれる大学の夜学にたった一校しか受験するお金が用意できず、その為最初に入った会社では高卒の学歴で思うように出世できず、あの時代に珍しい転職をしたせいで、定年後も毎晩うなされるぐらいの苛めをされながら、それでも部長までいったけど、だからこそ更に苛めは苛烈になっていったね。いつも歯を食いしばっていたから、口癖は、人生は辛いものだ、だったね。
弱かったね、父さん。
あなたは弱かった。その自分を認められなかった、そして受け入れてもらえなかった。
お姫さまだったおばあちゃんは戦後の混乱の中、夫を亡くし、女で一つで生きていかねばならず、頼れる兄は恋愛結婚でさっさとどこかに行ってしまった。おばあちゃんは何度も列車に飛び込もうと思っていたらしいけれど、背負う子どもは弟だけであなたは置いてけぼりだった。
だから、無理して大人になって二人を守ってきたんだよね。
自分の存在価値を認めて欲しくて、
居場所を作りたくて、
自分を殺して頑張ってきたんだよね。
祖父が病で早世しただけじゃなかった。
終戦を9歳で迎えたあなたは戦争の犠牲者でもあったのだ。
あの頃、戦争に巻き込まれた国にいた子ども達は子ども時代を奪われ大人にならねばならなかった。昨日までの正義は違うと教えられ、敵を崇めよ、と価値観を全て捨てさせられた。わたしが聞いた話では、戦争中より、戦後の生活は統制を失った社会はカオスそのもので食べること、生きること、すべてが人のずるさ、混乱で生きることが大変だった、そう、伯母が語ったのが印象的だった。
実際、母型の祖父は東京空襲の焼け野原になった人たちが自分の土地に住み始めた時に大変だからと黙っていたらそのまま土地は帰っては来なかった。今やそこは高層マンションが建っている。
日本に戦争は80年、ない。
しかし終戦から80年経っただけで、戦後にもずっとずっと傷を抱えて生きてきた人の歴史がある。戦争体験を語る人が減った、というが傷について語る人は実は少数だ。
ほとんどの人が語らず、黙して逝ってしまったのが実相だと思う。
わたしも課題のレポートに身内の戦争体験をテーマにしなかったら聞けなかった話だった。それを選んだのはあなたの身体に残っていて、わたしも毎年の夏に感じる、あの終戦の日のなんとも言えないあの体感からによる。
わざわざ問わねば、思い出したくない日々を語る人はいなかったのだ。
それは心の傷を開けることだから。
戦争は死んでしまったことだけが惨劇ではない。
生き残ってしまった、あの人は逝ってしまったのに、わたしは生き残ってしまった、
これも語りつくせないぐらいの心の傷だ。
これは災害にも、自死遺族にも、突然の身内や親しいの死にも出てくるとても悲しい感情だ。その人の性ではない、けれど、その人への思いが、悲しみが、
どうして…!?と問となってそれが変容してその想いに至る。
とてもとても悲しい感情だ。
その問いは捨てられないだろうし、とてもとても辛い、苦しい想いだ。
あなたの性じゃない、それは、あなたの愛の重さだ。
戦地に行った人、
帰ってこなかった人への喪失感、
戦場における惨劇、土地の荒廃、その地域の文化の破壊、
戦争に至る道、戦中の洗脳と同調圧力の犠牲者、
戦場、大空襲、原爆、大虐殺で生き残った方々のトラウマとその伝播。
戦後ヒロポンが流行ったのも、戦地での思い出も消したかったからだ。
戦争は戦地だけにあらず、残った人にも、大地にも、そこに生きる時代のすべてが巻き込まれる。だが、災害はどうにもならない神さまの差配だけれど、戦争は人が起こす。
ならば人が止められるのだ。わたしはそう、信じたい。
戦争は無知や他人や社会の無関心、自分だけしか目がいかない、洗脳、そこから始まる。
スマホに噛り付いていてはいけない。その中にはあなたをいい気分にさせ、あなた用に媚を売ってカスタマイズされた情報しか今のAI検索では出てきにくい。
スマホを置いて欲しい。
目の前の人に心を開いて欲しい。
それが真の反戦だとわたしは思う。
話を父に戻す。
そう、あなたは独りぼっちで、黒と言われていたものが白になり、焼け野原で母や弟を背負って生きていかなくてはならなかった。
手の中には何もなかった。お金もなかった。
あなたの背中を温かく支えてくれる人も、引っ張ってくれる人もいなかった。
だからとにかく目の前にあるもの、善悪関係なく、守る、ということがあなたの生きる術だった。それしか生きる道がなかった。
だから、その後、自分の青春のすべてを母と弟を養い大学に行かせることで費やし、自分のことは後回しで結婚できないと思っていたところに母の父から、お金もいらない、あんた一人で来てくれたらそれでいい、そう言われて感銘を受けて、そのまま母の奴隷となってしまったんだよね。
でもやっぱりさ、あの時の最後はあなたはその旅行は行きたくない、と言わなきゃいけなかったんだよ。もうその旅行に耐えられるだけの力がなかったから、行きたくなかったんだから、その内なる声に従うべきだった。
その旅行があなたの体力では無理すぎて、それが元で死を早めたんだから。
でもしなかった。
最後の最後まで、母の独裁政権を維持する形で、
だからわたしが母からあなたを守る形で、あなたは逝ってしまった。
わたしがおむつを替えて、食べさせて、歯を磨いて、他の人の前では俺が死んだらこうしろ、とカッコつけて、もう苦しい死にたい死にたいと、我儘をわたしだけに言い、
わたしに最後まであなたらしく生きろ、と叱られて、そう、子どもに戻ることが出来ただろうか。そうであるならば、ある意味、最後に望みを果たしたと言えるのかもしれない。
あなたはほんの数カ月でも失った子ども時代を取り戻せただろうか。
そしてわたしの誕生日に逝くことで、わがままをしきれただろうか。
たゆたう先はニライカナイへ
これはあなたが逝った後にフォーカシングの仲間との連歌の返歌。
同じように身内をご不幸があった人に引き継いで詠んだ歌。
だからそう、蝉の声が鳴り響いてあの日を彷彿とさせるから、
今日、海を見に行こうと思う。
あなたと見た花火を見た、あの場所へ。
海をぼんやり眺めてこようと思う。地平線の彼方まで見渡せる、海へ。
あなたが育った海の側の街の代わりに。
海の先の先へ、あなたはそこにいるだろうか。

行ってきました。朝日の写真↑
そして、夜の月の道の、写真↓



