癒されたり、
本来の自分に戻るとどうなるか。
キラキラした人生や煌びやかな人生が始まり、不思議なこと、なんか知らんけど良いことづくめになる訳ではありません。
何かが起こった時、
自分がなすべき最善を尽くしていく勇氣と知恵を持って行動することが出来る自分になる、ということです。
また、あなたの真心を受け取ってくれる人と真の交流が始まる、ということです。
あくまで始まりに過ぎません。
また一歩一歩、更に自分を深めて行ってください。
それはキリストがユダに、
はなった言葉、
“あなたが なすべきことをせよ”とは、
それを示唆しているのではないでしょうか。
さて今回、
自己回帰のクライアントさんが記事にしてよい、とのことでしたので具体的に説明していきたいと思います。
クライアントさんのお子さんは特殊な個性を持っていますが、今回残念なことに集団いじめのターゲットになってしまいました。
が、幸いお子さんご本人が氣がつく前に担任の先生が見抜き、クラスで話し合いの時間を持ち、自らの責任の元、親御さんへどうしたらそれぞれの人の個性を認めて合えるクラスにしていけるかという手紙を作成、手助けが入りました。
その上で いじめ側の親御さんとリーダー格のお子さん、クライアントさん、担任の先生、校長先生で緊急の面談が、という流れ。
突然学校に子どもが集団でいじめにあっていた、ショック状態でいじめ側の親御さんに一言も言えなかった自分
それは子どもを守れなかったのではないのかという自責の念、
そもそもいじめという事実の衝撃
子どもさんがその後大丈夫なのか、ということ
そのショックが大きかったので一人では難しいということで緊急セッションということになりました。
セッション内容は省きますが、
その後そのクライアントさんが行ったこと、そして結果をここに記していきたいと思います。
あなたがしたことで、わたしが、子どもがどんな氣もちになるか、ということ。それをどうか知って欲しい、だから 今後はどうしていけばいいのか、一緒に考えていこう、
そんな内容でその子を責める内容ではありませんでした。
それを色々配慮してくれた担任の先生と共に、その子に手紙を読んでもらいました。その子は最初驚いて、読んだ後は、嬉しそうにうんうん、と頷い
そして先生はクライアントさんに、こんな配慮と行動が出来るなんて人として尊敬する、そう言われたそうです。
続けてクライアントさんは校長先生に独断でクラスにお手紙を書いた担任を責めないで欲しい、そいう電話をかけました。
電話をした先で、校長先生が泣いている氣配がしたそうです。
いつも先生を責める電話ばかり受けてきたけれど、そう親御さんから先生を配慮してもらうことはあまりないから、と。
そして担任の件はわかりました、ありがとうございます、そう言われたそうです。
その後、いじめた子は柔らかくなり、
そしてもともとリーダー格であったその子の影響かクラス全体がほんわかと、まとまって明るくなってきました、と担任から連絡が入ったという結末を迎えました。
では わたしから解説を入れていきたいと思います。
まず、このようなことをしろ、とイジメに対してのマニュアル指南をしている訳ではなくこのケースはこういうことであった、とはお断りしておきます。
また特殊個性の為、お子さんご本人がいじめに氣がついていなかったということ、クラアントさんが自己回帰により人の心の開き具合が分かるようになっていたということでやれることが広がっていたことも同じくです。
話を元に戻していきましょう。
いじめが発生したこと、それは悲しいことです。
また確かにクライアントさんはいじめた親に対し、怒鳴り、怒りをぶつけ、表向きでも謝ってもらう機会は得ていました。
そこで怒鳴り責めたとして、いじめを受けた子の自尊心は更に粉々になりいじめは地下へ見えない場所へ潜って陰湿に執拗に長期に続いていたかもしれません。
そうなった時、本当の傷つくのはクライアントさんのお子さん、その人です。
クライアントさんはお子さんを守れなかったのでしょうか。
わたしは立派に守り、そして更に良い環境へと連れていけた、そう思います。
そして いじめたお子さんはどうなったでしょうか。
その面談の場で孤独だったその子、
親御さんは自分のことだけを想いふてくされ、子どものことなど
考えていなかった。淋しそうな姿だったそうです。
そのままだったらその子は、大人を恨み、更にふてくされていったことでしょう。でも怒られる、そう思っていた大人から心のこもった手紙をもらった。
わたしはその子の心に一生残る出来事だったと思います。
何かこの先、間違いをおかしたとしても(人間誰しもいつでも失敗も過ちもします)誰から心から赦された経験は、新しいことにチャレンジする勇氣、またその子自身が誰かを赦す優しさを呼び起こすことでしょう。
わたしはクライアントさんが、その子の心に生きる為の灯をともしたのだ、そう感じています。
また校長に許可も得ずに生徒を救おうとした担任の先生を応援したこと、校長先生と担任の先生にモンスターペアレンツに怯え、事なかれ主義や長いものに巻かれろ、となりがちだった心に、きっと、
なぜ、わたしは先生になりたかったのか、という初心を先生という職業への希望を、そうした行動をした時に
認めてくれ応援してくれる親もいるのだという励ましを送れたとも思っています。
いじめも、その後の対応を全体を見極め誠実な心で行った時、調和にするチャンスでもあります。
それが今回の事例だと思い、
お子さんが関わっているのでプライバシーを配慮し、かなりはしょった書き方をしましたがご紹介させていただきました。
これをささやかなことだ、と思うか。
これこそが人間の素晴らしい能力だ、と思うか。
わたしはとても美しい友愛の響きを感じ、それを行ったクライアントさんの生き方を尊敬しています。
で、こうやって自分で出来るのに、
ウダウダしとる時、溜めるんですよ。
そこはしっかり反省してくださいな。
とにかく自信を持って!!
そうそう、お誕生日おめでとう。
それでもどうしても自分だけでは
こんがらがった時は、またいらっしゃいな。
わたしは、またあなたと笑顔で再開出来る日が来ることを願っていますよ。
わたしはこういう行為の一つ一つが、
人生の創造、だと思います。
たまに周りをしあわせにしたいからカウンセラーやセラピストになりたい、とおっしゃる方がいます。が、ならずとも、
こうして幸せの輪は生み出せるんじゃないでしょうか。



