自己実現は難しい。
しあわせ、も難しい。
確かに、『自由からの逃走』は長年のベストセラーになるわけだ。
実は、
自己実現の目前や癒される手前、
そこが一番の壁だったりする。
それはとても大きく高い壁だ。
クライアントさんたちが
もっとも迷い、逃げる瞬間でもある。
夜明けの前は暗い。
そしてそれは”本当に心の変容が起きる”前触れであり、
人生が動きだすという証拠でもある。
いやいや、だんだん希望が見えつつあり
そこはスキップを踏むように軽やかに
そんな風に思うかもしれない。
セッション進行を段取る わたしも最初はそう思っていたから、
クライアントさんや一般の方は益々そうだと感じると思う。
だが現実は違う。
本当に、人は馴染みある不幸や苦しみ、疎外感より
すっかり忘れきっていた 本来目指そうとしていた
“しあわせ”や、”願い”が あまりに今の自分からは未知数で、怯むのだ。
あんなのは知らない、わからない。
眩しくて、広がって、暖かい、高い場所
怖い 怖い 怖い
狭くて、暗くて、こっちの方が、わたしは知り尽くした場所だから。
「こちらに戻ろう」、「元居た場所に引き返そう」
その為に急に分からなくなったり、妄想癖を復活させたり、する。
それはまるで
目的までの地図はあり、旅道具も万全、ガソリン満タンの車を前に、乗り込めないでいるようなものだ。
セッションする前は、
目的がわからない、エネルギーもない、どうしていいかわからない、と言っていたから全て用意したのに。
新しく(ある意味新しくはない、自分が本来望んでいた道だが)見える道は、
なんだか距離があるなあ、
一人で行くの怖いなぁ、
本当にたどり着けるのかなぁ、
だったら今までのように
誰かの言いなりに、不満だらけでも
自分では責任を取らなくていい
誰かのせいに出来る……
でもね、悩んでいた時は
悩みは人からエネルギーを奪うから。
というか悩みや傷は抱えていたり、はまっていると、その状態がエネルギー消費が激しいから、
一人で行くの怖いなぁ、
本当にたどり着けるのかなぁ、
だったら今までのように
誰かの言いなりに、不満だらけでも
自分では責任を取らなくていい
誰かのせいに出来る……
でもね、悩んでいた時は
悩みは人からエネルギーを奪うから。
というか悩みや傷は抱えていたり、はまっていると、その状態がエネルギー消費が激しいから、
- 動けない、
- 考えられない、
- わからない、
- 見えない、
当然だと思う、
仕方ないと感じる。
でも、癒されたり、
更にその先に進んで”自分の本当に望むこと”が分かり、
その先の人生の地図やビジョンが視えたなら、
あなたはもう、
仕方ないと感じる。
でも、癒されたり、
更にその先に進んで”自分の本当に望むこと”が分かり、
その先の人生の地図やビジョンが視えたなら、
あなたはもう、
- 動ける
- 考えられる
- わかる
- 見える
という状態な訳だ。
それならば、
覚悟を決め、
自分の人生に責任を持ち、
動き出さなくてはならない。
自分の為に、そして人の為に。
何故ならそれは、あなたの望み、は
自分もそうして欲しい、
周りの人もそうあって欲しい、
という望みだから。
望みが ”愛されたい”、ならば
自分自身を愛したいし、人を愛したいし、
そして周りの人も愛されたい、のだから。
望みが、自由、ならば、
自分は自由に自分の地図を広げ、飛び出していきたいし、
また、あなたの周りの人でシチュエーション的に囚われている(婿養子やら介護者がいる、とか子育て中とか)人の心や思考はせめて柔軟に可能性としての自由を感じて欲しい、と感じる筈だ。
その為に、あなたは相手の為に動いているか?働きかけているか?
そう、自己実現とは、
あなたが、自律した自立している真の成人した大人として、自らに、そして他者へも働きかけを行える自らの地図を、自らの責任において開拓出来る人のことだ。
それならば、
覚悟を決め、
自分の人生に責任を持ち、
動き出さなくてはならない。
自分の為に、そして人の為に。
何故ならそれは、あなたの望み、は
自分もそうして欲しい、
周りの人もそうあって欲しい、
という望みだから。
望みが ”愛されたい”、ならば
自分自身を愛したいし、人を愛したいし、
そして周りの人も愛されたい、のだから。
望みが、自由、ならば、
自分は自由に自分の地図を広げ、飛び出していきたいし、
また、あなたの周りの人でシチュエーション的に囚われている(婿養子やら介護者がいる、とか子育て中とか)人の心や思考はせめて柔軟に可能性としての自由を感じて欲しい、と感じる筈だ。
その為に、あなたは相手の為に動いているか?働きかけているか?
そう、自己実現とは、
あなたが、自律した自立している真の成人した大人として、自らに、そして他者へも働きかけを行える自らの地図を、自らの責任において開拓出来る人のことだ。
自分がしてもらうという受け身の一方通行の時代、の終わりだ。
依存の時代の終わりでもあり、精神的な子ども時代の終焉でもある。
それは”真の自由”、とも言う。
確かにとても怖いこともあるだろう。しかし動き出すモノはあなたの手中にある。
それなのに動き出さないのは、知らないで出来ない人より、タチが悪い。
あなたは、もう出来る。
どうか今鳴る高鳴る心臓の鼓動は
昔、怯えていた時、
悲しんでいた時、
苦しんでいた時、
それらと同じリズムだろうか。
よく聴いて欲しい。
今こそ、そのリズムを全身で感じて欲しい。
これからは常に自分の内なる声に耳を傾けていくんだ。
もしも応援の始まりのシンバルの音ならば
高らかに鳴るその音と共に出発して欲しい。
確かに前例のない地図を道なき道を開拓するのはドキドキすると思うけれど。
わたしはそう信じているし、
あなたは出来る、のだから。
あなたも あらたが信じるように、あなた自身を信じて欲しい。
自分を信頼して欲しい。
どうかどうか、自分のしあわせから逃げないで。
あなたにしあわせにして欲しい人、あなたの活動を待っている人たちがいる。
だから高鳴る鼓動と共に前に進め。
自分だけの人生のアクセルを踏んで出発しなさい。
仕合わせ(しあわせ)への道へと。