布教を目的とした宣教師と言えば。
なかなかハードなことをして、
土地土地の文化を
なぎ倒してきた人々で近代社会の
原動力となった方たちでありますが。
今回は、それは置いといて。
布教の宣教師を挫折させ
言語学者にしてしまった民族がいます。
言語は、
その人々の意識の現れです。
このピダハンという民族の言葉はね
こんにちは、ありがとう、も、ない。
色もない(明るい、暗いだけ)
数も、左右も、家族も、
夫婦もなく、
それどころか、わたし、もない。
個人がないから、神も、儀式もない。
夢と現実の区別もない。
確かに、自分が体験したんだから
夢だろうが現実だろうが同じ、
とも言いますが
書いていてわたしの頭も
ぐるぐるしてきました。
皆さんはどうですか?
我々が、今、そうなれ、
と言ってもなれませんが、
彼らの存在が教えてくれるのは
人間の可能性です。
人間は、神も、左右も、
過去も未来も、分断する思考、
すなわち二極化する
思考を持たず、
ただ今に集中して
幸せに暮らせる能力が
人間にはあるのだ、
ということです。
言葉も少ない変わりに歌う様に話す。
鳥がハミングバードするような感じ。
あえて言えば氣持ちが伝わればよい
ということかもしれないよね。
しかしなんと幸せそうなんだろう。
本当のあるべき人の姿があるような氣がします。
本来の人が行くべき道が。
彼らが行ったのだから、行ってくれたのだから
わたし達も行けると思う。