あの日311の日、まだスマホはこれ程普及していませんでした。
情報は錯乱し、テレビはずっと津波に飲み込まれる街を映すのみ。
みんな思考が停止したような状態で。テレビでは裏から怒号が時折聞こえるような状態でしたね。
あの日、揺れた2時間後、わたしは福一のことを考え、子どもを連れて逃げるか、いや家族のこと、年老いた親、愛犬を残すのか、わたしたちだけが逃げるのか、そんなこと…揺れが繰り返される中、迷っていました。
数日迷った後、元夫に促され、子どもと2人空港に向かい機上の人になった後、福一は第一の爆発をしました。
ギリギリまで自分だけ逃げ流ことに迷っていたわたしは飛行機の中で半分パジャマのまま、子どもは長靴のままでした。
子どもを考えなければ留まったと思います。
だから危なくなれば逃げればいい、暮らしとはそんな単純なものではないと思います。また故郷とはそんな簡単に割り切れるものではないでしょう。
そして銃で守れるものでもないと感じます。
暮らしとは命の営みだから、武器が側にあること、そうした環境下にあること自体が健全な営みとは思えないからです。
戦争も、紛争も、災害も、暮らし、と言う日常が自他共になくなることは本当に、辛い。
ウクライナの戦火を止める力はないけれど、今、隣にある憎しみはやめましょうよ。
在日ロシアのお店に嫌がらせをする人がいるらしいです。
なんになりますか。
またその人が何をしたと言うのですか。
国がしてること、それと個人は違います。
それをしたらロシアはウクライナに攻めた、それと同じことじゃないですか。
やめましょうよ。
昨日、良い子になるな、って言ったよね。
言いました。良い子を演じることはやめた方がその人自身が幸せになれるからです。
心に平穏がある幸せな人は戦争を是としません。
だからある意味これは静かで小さな小さな反戦運動でもある、わたしはそう思っています。
そして自分の意思を持って憎しみを選択するか、融和を選ぶかは全く違う。
これは自ら選択した自分の意思ですから。
演じるのは外側からの意思に従うこと、だけれども内なる意思に基づく信念は清いものだと思います。
例えば世界一紛争が長引いている紛争地帯のソマリアでの平均寿命は35歳です。
戦闘で亡くなるからだけではなく、不安と戦闘が側にあるせいで20歳の子が老人の様にやつれてしまうような状況だからです。
日常に銃がある、それはそう言う世界。そうした場合当たり前ですが身体が常に緊張状態にあるのでフォーカシング(こちらで使う療法の一つ)はそうした場所にも使われています。
戦争やテロが起こり、ニュースでもなんでも戦車や戦闘が映ると悲しいかな、人は知らぬ間にそちらに意識が向います。
戦争反対を声高に言う人も増えるけど、戦闘ゲームにログインする人も増えてしまう。
影響を受けるからです。
だからと言って戦闘ゲームをする人が根っから悪い人である訳ではなく、つい、煽られた方向がそちらに向かう訳です。
そしてこれは心理実験で結果が出ているのですが、そうした映像(喧嘩や戦闘シーン)を見聞きすると人は親切にする割合が減ってしまいます。(性格云々ではなく、そちらの状態に引きづられておこる現象)
男の子は確かにそうしたゲームが好きな場合が多いかと思います。そしてお子さんがやられていたら、今、世界で起こったことを静かに話し合って、ゲームの時間を30分でも減らす、大音量の銃の音を消してみる、と言うようなことをしてみるのはどうでしょうか(影響が少し減ります)
ゲームとしては面白いのは分かるよ、でも本当に人が亡くなったり、その音がトラウマで生涯寝れないことになる子どもがいる、だからゲームとして楽しむだけにするには影響を少し減らしてみるのはどうだろう、と教えて話し合うことも親の役目ではないでしょうか。
わたし達は知らないことだらけです。
でも知らなきゃいけないことってあると思います。
食卓にあがる経済動物(わたしはこの呼び方が嫌いですが呼び方が全てを表してますよね)の心の健康を守ると国際会議かな、されたのは今年のこと。
わたしはベジタリアンになるつもりはないので食べてます。が、そうした犠牲を考えるに最低限の気持ちとして食い散らかしたし、腐らせたり、ゴミにはしません。出来ません。
知り、何に、どう覚悟するか、は、それぞれどう生きるのか、自分で考え選ぶことをしなくてはいけないのではないでしょうか。
人は忘れやすい生き物です。忘れなくては長くは生きていけないから悪いことではないこともある。
しかしやはり忘れてはいけないこともあり、しかしネガティヴに引きずられ過ぎてはいけない。バランスが大切です。
わたしはだからこの311と終戦の日に、世界中の平和を願う日にしようと決めています。忘れてはいけないから。
今年は特にウクライナに想いを馳せながら。小さな反戦運動をしようと思っています。もし賛同してくださるなら一緒にやっていきませんか。
あなたが出来る無理しない優しさと微笑みをあなた自身に、
そしてまた隣の人に、また見知らぬ子ども達に。
権力者の権力行使より、それがリレーされたら民衆のさざ波の方が強くなるからです。
どうか一日も早く全ての人が故郷に帰れますように。
