ある意味セラピーは放した時から、本当の自立かなと最近思う。
任せる、任せる、任せる。
結果も全て。
いくら言っても言っても。
するのは当人だから。
その人がどうするか、です。
神様の使いだって、いや神様だって道を指し示すことしかできないのに、わたしのようなセラピストがなにが出来ようかって話ですな。
さて本題。
”良い子ちゃん”や”出来る子ちゃん”を演じるのは
- 嫌われたくないから
- 失敗したくないから
- 弱い自分を見たくないから
- 自信がないから
- 価値がないと思われたくないから
- 優越感に浸りたいから・・・その他
でも良い子ちゃんを演じていたら、あなたの中に怒りや我慢が溜まってしまう。だって演じてるんだもの、あなたではない何か、を。その無理は歪みを生み、歪みは滞る。滞るから、溜まる。
それは自然の摂理。
それに逆らうことは出来ません。
その代償はどこかで払うことになる。
すべてから逃げられる人はいないです。
その場で切符を切られたらわかりやすいけど、何年も経ってからではわかりにくい。でもすべては繋がっていて、今、がある。
だから、今、に着目してセラピーが可能になる。
過去のトラウマにもアプローチ出来るのは、今、は今までのすべてを包括しているから。だから今をしっかり見ることは過去をないがしろにしてることではなく、過去も未来も誠実に扱うことになる。
今にはすべてがある。
だから自分という人間がどんな人なのか、きちんと客観して、弱さも認めて出来ないも受け入れていくことが大切なんです。
良い子ちゃん、も、出来る子ちゃん、も妄想の一つです。
確かにそうしたことが演じられるぐらい勉強が出来たのか、相手を気遣えることなど能力がおありなのでしょう。
それが悪いことであると言ってるのではもちろんないのです。
知性、気遣い、あって素晴らしい。
でもあなたの感情は無視してまで、その能力をお使いになるのはいかがなのか、ということです。
そしてその能力を使って誰かと競争する必要はない、ということです。
能力+感情=あなたなのだから能力だけで生きないでください。
冷静に自分の得意不得意を把握しましょう。
なのにそうさせているのは何故か。
そもそも今、誰もあなたを責めていない。
では誰がそうさせているの?
それはあなた自身です。
どうして良い子をしないの!
どうして出来るって言わないの!
わたしが我慢したら喜ばれるんだから我慢!
それはあなたがあなたを自由にしていないということだと思います。
本当の善意の行為は、無理からは産まれません。
自然に損得なくしている行為が、
それがあなたに出来る善意でしょう。つい見知らぬ赤ちゃんに微笑まれて自然に微笑み返してしまっている自分がいた、こういう感じです。
こうしないといけないからするのだ、こうあるべきだ、というモノは善意ではないです。
もし善人になりたい(?)のなら、そうした行為がふと出てしまうぐらい自分が満された状態にすることです。
では満たされる状態になるにはどうしたらよいのか。
それは愛の交換交流が出来る場所に自分を連れていき、きちんと交流できる人と誠意と勇気を持ってその輪の加わることです。
そこで愛を受け取り自分の中に愛を充電させることです。そしてその愛を渡すことです。(相手は人だけに限りません。犬もできます。ネコはちょっと違う※これは社会性の動物の能力の話)
その交流の中で、こう言ったら相手に嫌がられた、受け取ってもらえなかった、人選を間違えた、通じなかった、などの失敗も繰り返して体験し受け入れながら(受け入れるということはしっかり客観視して分析し、反省し、次はこうしよう、と行動パターンを変えることです。愛の交換できる人だって、言われたら嫌な言い方、話すタイミングが間違えた、内容は違う人の方が得意だったとかいろいろありますからね。勿論自分も。本当に誠実な人は嫌なら嫌って言うだろうし)
あとね、忘れてた。重要なこと。
そもそもの大前提として、自分を受け入れてください。自分の欠点も限界も。
そうしないと愛の交流の場には行かれないか、行っても仲間になれません。それはそこの仲間になる為の必須パスポートなので。
つまり真正良い子ちゃん(?本当に親切な人的な人と言うか…)でありたいなら、自分を様々な理由で押さえつけて演じるものではない、ということです。
同じ行為をしていても、内発動機により、全く違う結果になるということです。
良い子ちゃんを演じないでください。
自分自身に還る、とはそうしたことです。
なんかね、そうする人は、
良いことは良いでしょ!
出来ることは良いこと!みたいなしがみつきがあるのだと思う。
しがみついてるってことは弱いんですよ。
手放していきましょうや。
自立って自分で立つことですから。
弱いと立てないよ、自分の足で。
ああそうだ、これが嫌われる勇気ってやつの本質だと思いますよ。
自分の出来る精一杯を誠意が込められる状態までする。でも無理な領域までするのは、やめる。
その結果やってくれないの?と嫌われたりなんか言われるかもしれない。
それは自分の出来うる範囲、限界なんだから、それが自分のキャパだからそこ、受け入れていこうよ、ってことです。
(某一部も好き勝手、とも違いますから。念のため)
