”あるがままに生きる”とはどういうことか その2

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”あるがままに生きる”とはどういうことか その1
道元と言ったら、鎌倉時代初期の禅僧で 『正法眼蔵』 という大作を95巻も書いた仏教家ですが14歳で出家して、53歳で亡くなるまでに…95巻!凄いですねー。((((((ノ゚⊿゚)ノその95巻の中でもっとも有名なのが「現成公安の巻」で、また...

 

そしてまあ、なんと道元さんが
おっしゃってることは
量子的引き寄せ理論と同じなんですねえ。

有時(うじ)、有る時=現在、
今、今、今なんです。大切なのは今。
考えるべきも今。

今が全てを決めていて、
或る時=過去や未来は存在しないのです。
つまり時が存在してない、
とも言えるのです。

量子力学では、決定は今の意識であり
未来は決定されていない、と考えます。
そして無仏性という仏性があると言う。

仏性とは仏の性質をいい、まあ
すんごく簡単に言うと魂の良い部分って感じでしょうか。

でもそれがあって、ない、って何よ?
ですけどね。

通常の仏教では仏性(ぶっしょう)とは
どんな魂、つまりは人々の中に
存在はしているが
その己の仏性を修行や徳を
積むことで育み育てていくことが必要だと説くのです。

が、道元さんは違います。

魂の中にあるんじゃない、
宇宙の空間すべてに仏性が満ちており
その中に浮かんでいる。
だから仏性とは、育んだり小さかったり
差があるものではない、と。

すでに、今、が完成されている、と。

だから悟りとは掴みに行くものではなく、
向こうからやってくるものだ、と。

氣儘、が、あるがままになり
悟りが向こうからやってくる状態 
それは物事の成り行きにまかせることであり、
世界に身を預けること、です。

これは勇氣が必要ですね。
それが即ち道元は悟りである、と。

どういうことか、道元は言います。

貧乏なら貧乏だ、としなさい。
迷いの中にあるなら、迷っている、だ。

だがしかし、
貧乏なのは、わたしが能力がないからだ
会社が悪い、学歴がない、
と物事を複雑化してはならない。
ただ、金がない、と言う状態である。
迷ってるなら迷っている、で終わらせる。
それが迷っているわたしを受け入れている状態。

わたしは迷う程弱い人間だ、
ダメな人間だから迷うのだ、
と勝手な妄想をつけてはいけないのです。

迷いの中に、貧乏の中に、
その中で、すでにある仏性を氣づけ、と。
いかなる状態、状況であれ、氣づけたなら
(最高な自分や調子の良い状態でなくとも)それ、即ち、あるがままを受け入れたこと。

道元は仏教徒ですから
仏性とおっしゃってますが、
それはきっと己れの中にある
アガペーと言う大きな愛、
それに氣づけと言っているのだとわたしは感じます。

「あはははー」
笑ってることすらたぶん自覚ない氣ままな笑顔の男の子

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