”あるがままに生きる”とはどういうことか その1

道元と言ったら、鎌倉時代初期の禅僧で
 『正法眼蔵』 という大作を95巻も書いた仏教家ですが
14歳で出家して、53歳で亡くなるまでに…95巻!

凄いですねー。((((((ノ゚⊿゚)ノ

その95巻の中でもっとも有名なのが
「現成公安の巻」で、またもっとも重要視されているそうです。

そんなお偉いものをわたしごときがさっくり言うと怒られそうですが
さっくり書いてみます。

現成公安とは、
今、ある世界を、どう見るか
ということだそうです。

原文からの例えを見てみましょう。

薪と灰をみると、大抵人は
”薪を燃やしたから灰になったんだ”
そう解釈しがちです。

それは違うのだ、と道元は言います。

薪には薪の始まりと終わりがあり
また
灰には灰の始まりと終わりがあるだから

灰を薪の”過去”に見る必要性も、
灰に薪の”未来”を見る必要性もないのだ
と言うことらしいのです。

つまり、灰なら灰の、今を見ろ
薪なら薪の、今を見ろ
薪としての今をしっかり生きろ、と。

人間なら、病氣になってしまったとしても
病氣である自分は今しかないのだから、
病人は病人としてしっかり生きろ、

ということがつまり
あるがまま生きるということだと。

そう、あるがままとは、
言いたいからと暴言を吐いたり
好き勝手なことをして
周りに迷惑をかけても知らんぷりして
生きていくことではありません。

今、という状況を批判することなく、批評することなく、
ただ、そのままを受け入れ、
その状況下において
自分が出来ることを
ただ真摯に打ち込むということなのです。

我儘とは我、即ちエゴが入っていますが

あるがままとは

きままに生きることであり

きままを漢字で書くと、
”氣儘(きまま)”となります。

我という小さな枠組みを取っ払った
大きな流れである氣、
即ち宇宙の真理のままに生きていく、
ということなんです。

あの人、気ままだなあ、
と思い浮かべる人は
頑張っていない人ではないでしょうか。
頑張るとはエゴにしがみつく状態ですからね。

我儘とは物事を自分の思う通りに
進めていきたいということ。

また、
道元風に言えば迷いの状態です。

道元の迷いとはですね、
ちょっと長くなりそうなので次に続く…

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