セラピスト・カウンセラーの選び方

【効果ある心理療法の受け方③】セッションの悪い例 & 色々な人へのメッセージ

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昨年年末ネットに公開されたあるセッションを聞いて感じたことを書きます。
 
そのセッションはクライエントさんの心にタッチ出来ていない、
カウンセラーの独りよがりのものでした。(これはクライエントさんの意識レベルが変性意識になれていない状態=つまりクライアントさんが緊張したままで、潜在意識レベル(心や身、つまりその人全てが深いレベルで)では全く安心安全を感じていないという状態です。↓安全空間の作り方

【効果ある心理療法の受け方②】安全安心を感じることが人生になかった あなたへ
カウンセラーから否定的なことを言われた。高圧的なアドバイスをされた…なんてひどい、わたしは安心安全の為にあなたを否定することなく、お話を聴きます。 なんてありますね。  人に安心安全を感じてもらうには、あなたを否定せずに聴いていく、と言うの...
昨年の初めにその方のオープンカウンセリング参加した際に、ご本人にそう進言したのですが…相変わらず。
 
またその弟子の方々、弟子から離脱された方々も、ここ2、3年のそうしたセッションを見て、自分の先生のカウンセリングがズレているのかに全く氣づかず、ただ盲目的に師匠、師匠と持ち上げていること自体、その方々も心理療法が理解出来ていない証拠でしょう。
だって自分自らが出来ること、は、他者のセッションを見たら、その課題点を指摘できるはずですから。
 
いやいや、わたしには実はわかっていた、と言うならば、師匠がズレ始めた時に勇氣を持ち進言しなくてはいけないのではないでしょうか。それが真に先生を慕うこと、かと。
しかしながら先生の寵愛が自分に向くことだけを願っている人々ですから、そんな先生の逆鱗に触れることは出来ないのでしょう。
 
因みに、わたしは進言しましたよ。
その為にどの組織なども自立して自由でいるので。(聞く聞かないは相手の課題)
 
 
その公開セッションを確認したことで思うことを延べていきます。
 
①このようにフォーカシングを、きちんと理解せずに間違った解釈では、ジェンドリン(フォーカシングの創始者)に失礼。
 
②また囚われから出たい、と願うからこそ心理療法を受けているのに、クライエントが自由になっていない。
形だけ真似事だけしても施術者が理解していなければ心理療法の効果がない
 
以下に具体的に何が間違っているか、
を記しておきます。

 
冒頭のセッションを解体すれば(カウンセリング、セッション)は顕在意識上の言葉遊びのみに終わった、です。
流れを書きましょう。
 
クライエントさんが過去の出来事を語った。その内容は過去の辛い思い出。

それをカウンセラーがその時なにがあったの?

そうなんだ、
で、なにがあったの?
と事柄を何度も何度も聞き出していく。
クライアントさんは辛い思い出を話してる故に泣く。①
 
 
過去の事を聞き出した事柄に対し、本当はなんて言いたかったの?としつこく問いかけして、答えられずにいるクライアントさんにカウンセラーが独断で、こう言ってと畳みかけていく。とにかく言ってみて、とマニュアル通りのワーク。言葉に出せば癒える、を押し付ける②

最終的に診断と言う名のもとにカウンセラーの勝手な解釈を結論付けしてクライアントに言い渡す流れ。
 
 
上記の流れでは心理療法内の暴力が2か所あります。
下線が引いてある場所です。

暴力①
またそりゃ辛い体験を語れば誰しも
思い出して語る際に涙も出るというものです。
結果、どんな涙もある意味生理的に排出ですから、泣いたら一時的にスッキリしたりしますが、
一時的な排出行為でしかありません。
 
それよりも辛い体験を語らせることは、
クライエントの意識を過去の出来事に向け続けることなので、よりその記憶が強化され感情も増幅する=暴力①という逆効果を産み出します。
そうした辛い過去の再体験は最小限に留めたいものです。


暴力②
何度も言いますが、癒されるとは言葉にすることが100%の表現でも解決法でもありません。それは人が100人いたら100通りの表し方と解決法があるからです。
本当に癒された過程を見ていれば、人の多様性に驚き、発見があるものです。
 
また何が起こるにせよクライアントさんが主体です。
セラピスト側が促す場合もあるけれど、それはあくまでこう言いたかったな、とセラピストがメタ認知で先ずは言語化してみせ、それを呼び水とすることが目的です。
本当の癒しは、それを呼び水に、
クライエントさを自体が語り出すこと、から始まります。
 
一部の間違った施術者は
あなたはこう言いたかった筈、と、
自分の言葉を押し付けて鼻高々ですが、
 
真に理解している施術者は
クライエント自身が、
 
いや、それよりも、わたし的にはこの言い方の方が良いかもしれません…
と言い出すのを待っているものです。
 
 
故に言葉がまだクライアントさんの中で熟していないのにセラピストが押し付けるのはワーク優先セラピーであり、
クライアントさんを無視した施術者の暴力行為にあたります。
 
つまりこれは心理療法ではありません。
軽い洗脳であり、心の暴力です。
 
 
例に出せば
テレビの食レポをしたような反応はバツ。
「おいしー!!!」ハイテンションに矢継ぎ早に、その美味しさを表現する浅い言葉を並べてる。騒ぎ立てながら、大げさな表情をする。食レポとして仕事としての演技、受け狙いのサービスだから華々しく演じてるだけ、ですよね。
 
しかし本当に美味しいものを食べた時、人はそんな反応をするでしょうか。
きっとその人は黙ったまま、しばし・・・という沈黙がくるはずです。
または驚き、そうその時言葉は出てこない。
そのインパクトに近いものが心理療法です。
 
だからセッションをして一番最初の反応は
ちょっと驚き、それでもちょっと静かになってそこから語り始めるだろう。それをセラピー全体で深めていく。
(ジェンドリン)
 
 
進めば進むほど、
深くなればなるほど、
クライエントさんの中で通常の意識では葛藤や理解が追いつかない状態にセラピストは理性とその身の声を聴く為の狭間のバランスをとる為にクライエント寄り添っていきます。
深い理解は身を伴う為、その周辺にある、何か、の語りかけはゆっくりで静かです。
ここを、
ここに、
回を追うごとに深めていかないといけない。 
 
 
本当の心理療法の意味であり、
本当の変化への、
あなたが囚われから自由になる、
他者からも、自分からも、暴力を受けない状態にするための、
あなたがあなたのバランスを取り戻し、神経的には強張りから交流へと切り替える一歩。そこから得た叡智を、
あなたの実社会で実践して、やっと本来の人生のラインを歩みはじめる。
 
 
だからセラピストは常に、
あなたの(クライエント)今、感じていることをわたしは正確に理解していますか?と問う。問われたあなたは、それにより理解をしてもらう安心感と共に それ (フェルトセンス=そこに存在する、何か)を更に深く感じる。
 
 
これがロジャースのオウム返しと揶揄さてしまった繰り返しの本来の趣旨です。
ですから単に相手の言葉を繰り返すことではありません。心理療法は、クライエント本人が自分を深く知る過程でもありますが、セラピストも、その人を理解していく過程でもあるのです。また一人では思いつかない氣付きを互いにフィードバックさせることで、更なる知見へと繋げていく。
 
 
それ、の変化をそれ、と あなた、と わたし が同空間で、響きあい、更にあなたはあなたの 何か、を深く見つめることで氣づき成長する時間になる。
ジェンドリンはクロッシング、とそれを表現しています。
日本では相互間主観世界、と表現します。
これが安心安全の場(フィールド)であり響き合いの場であり、
クライエントと施術者の創造の場、です。

そこで自己との対話をすることで氣付きを得ること、
これがフォーカシングと呼ばれるものです。(※かなり簡略化しましたが)
また自己セラピーでは行かれない、対、セラピストが介入するセッションの醍醐味であり、価値です。
  
 
クライアントの悩みを言語で理解して、表向きは引き出すようなフリをしつつ、言葉による解説でクライアント側を説得することでも、モヤモヤしていたことに施術者が勝手な意味を見出して、解説や診断と称してそれに自分の意見をクライエントに押し付けること、ではありません。
 
が、上記のセッションは最後は心理療法家の独断の解説により、クライアントさん、説得されちゃってました。
それは心理療法とは名ばかりの暴力。
 
 
故に、心理療法は難しいし、怖い。
 
それは施術者が常に自分にしていることがセッションで出るから。いくら技法を習えど知識や文言だけ詰め込んでみても、何人セッションしたと自慢しようが、ただ日頃の自分のありようがそのままダイレクトに反映されてしまうからです。
 
そう、施術者はクライエントさんに同じことしちゃうんですよ。


冒頭の施術者は、
自分自身の声を無視して、こうあるべきだ、という型に自分をはめて日頃自分に暴力をふるっているのだと思います。
つまりはコントロールしたい、
自分も他人も、周りも、家族も。
そして怖いから周りにはイエスマンしか残らない。
 
ですから過去、本当に怒りたかった相手は誰なのか、にそろそろ氣付く勇氣が必要でしょう。また本当の怒りを感じることを恐れているから関係ない場所で怒りの抑圧と暴発を起こしてる。
心理療法家ならば自分が自分の傷から逃げて関係ない周りに当たり散らすのではなく自らの痛みに向かい合わなくては。
 
残念ながら、あなたのご家族は氣が一年以上悪い。それはなぜか考えなくては。そして同じ過ちを繰り返す前にそれに氣がつかれますよう。 
わたしなら仕事ではなく(見栄)今度こそ家族(愛)をとる。
二度は間違えない。

また他の方。
その人のオープンカウンセリングで、わたしがクライエントさんのフェルトセンスに触れた瞬間、猪突猛進に強引に妨害してきたのは、多分あなたが沈黙に耐えられなかったから。
それはいつもその人自身が憤怒に駆り立てられており、思考の言葉の騒めきの中にいるから。その後、無視されたフェルトセンスがクライエントさんの中で怒り狂っていたのを、あなたは知っているのだろうか。
 
わたしはあなたがセッションしている間苦しかった。最後、フェルトセンスに声がけして答えなかったのは当然。
あんなに怒っていたらフェルトセンスはもう答えない。
だからあなたのブログは秋以降年末までずっと不安定で揺らぎ憤怒と迷走のジェットコースター。
自信だと取り違えているものは憤怒だと感じます。(因みに今は憧れの誰かになろうと自己洗脳してる。ダイエットの食事コントロールの様なやり方で心をコントロールしてる)
 
強がってるけれど本来は守られたい人に感じます。
しかしそれは悪いことじゃない。
あなたを守りたい、と、あなたの為に誰かが強くなれるのだから。
だからあなたを虐げる世界から出て、もう優しくされてもいいのではないでしょうか。あなたを優しく受け止めてくれるかいな(腕)に出逢い、甘えてもいいのではないでしょうか。
頼っていいのではないでしょうか。
強がってバリケードを張らずに。
 
 
そしてその場にいた、
その前にカウンセリングをしていた方。
その人は自分を無視しているので、同じくクライエントさんのフェルトセンスは全く出てきていませんでした。
つまりあなたは日ごろからそう自分を扱っている。無視し、勘違いした方向を頑固に見つめている。それは身体を芯(=更にしん、心を)固く冷たくしつづけてしまうでしょう。また自らつけたあだ名がそれを体現しているのはつくづく潜在意識の神秘は感じます。
しかしそれは人としての基盤の幸せから遠のくことです。いつか本当の安全と真の暖かさと巡り合うことができますよう。
 
 
 
わたしがこんな記事を書く理由、それは間違った心理療法やらカウンセリング、セッション、セミナー等を誰にも受けて欲しくないから、です。
 
恥ずかしながら、わたしも昔、人生最大に弱り切った時に悪質なボディワーカーに引っかかって人生無駄にしました。
そのセッションでの施術者の言葉で傷つき、更に自らをも追込みました。
 
だから絶対そんな体験を皆さんにはして欲しくない。味わって欲しくない。
 
 
苦しいから、
救われたくて、
藁にもすがる思いで受けたのに、
結果、更に失い、更に傷付くなんて。
絶対、絶対、絶対、して欲しくない。
 
だから、わたしは自分がズレてしまったら即座に廃業と決めてますし、またわたしの状態を常に信頼した他者に確かめてもらっています。
(そう冒頭の施術者の方も、数年前は違った。もっと暖かで寄り添うセッションでした…残念です)
 
 
だから、わたしが縁あった方には朝方の4時まで付き合ったり(年齢的にもう無理かもしれん…もし今後縁がある方がいたらすまん)エネルギーワークもなんでもわたしが使えるものは何でも使って、
路上だろうが、電車内だろうが、
飲み屋だろうが、夜中だろうが、
 
あなたが揺らいだり逃げそうになるなら、
厳しく感じられようが、
例えあなたから嫌われても、
 
あなたはそれで良いか、
 
そう問いますよ。
繰り返し、問う。
 
それは、わたしがそれだけの覚悟を持ち、
あなたの人生に真剣だから、です。
だからあなたも同じ覚悟と真剣さを持ってください。
だって、あなたの人生じゃないですか。
 
そうでなくては自らの人生を踏み出すことは難しいでしょう?
だって、そうやって生きてきたんだから。今までずっと。
覚悟がなきゃ昔に引きずられますよ。
こっちにおいで、
そう甘い誘惑がくるでしょう?
慣れ親しんだ甘くて暗くてぬるま湯な場所が。
 
だいたい心屋さんやら子宮やら、浅い引き寄せやら、なんちゃって本当の自分、
の人たちやらが人氣があったのは
(あるのは)
 
 
いいんだよ、
あなたはあなた、
素晴らしい、
あなたはすごい
あなたには〇〇がついている
あなたはすごい運の人
 
そうただ褒めてくれた
いや
誉め殺しをして
 
一時的に氣分を高揚させてくれたから
でしょう?
 
そんなのはデズニーランド、夢の国です。
いつまでそこにいるんですか?
そこは行きたいなら、
たまにお金使い遊びに行く場所で、
生きる場所ではないでしょう?
あなたの生きる場所はどこですか。
しっかり目を開いてください。
 
わたしはあなたに生きて欲しいのです。
見栄やら目先のことに囚われて、
あなたの幸せから逃げて欲しくないのです。
 
 
だからどうか似非カウンセラーや似非セラピストや似非心理療法家やらに引っ掛からんでください。
受けるなら真っ当な人から。
 
 
そう言えば先日のセミナーで、
某大学教授でテレビ出演多数、本執筆多数の心理学者でありカウンセラーの方が仕込みあり(シナリオあり)のセッション撮影を最近している、との話を聞きました。
 
残念ながらカウンセラーとしてかなり高名な方です…。
あくまでその方の下で何年も勉強されてきた方の噂話なので実名は書きません。が、そんなこんなで有名だから、大学教授だから、組織になってるから、と表面での判断はされませんよう…。
(きっとこの方も最初は違ったのだと思います。昔の書籍を読むとそう感じます)
 
どうかよろしくお願いいたします。

ご自分を大切に。

繰り返しますが、
真っ当な人から受けてください。

自分の人生に真剣に生きる為に。
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