昔、子どもにもらった絵本がありました。
頂き物だし、が、好きになれない…。
せがまれたら読むけれど、
今時の絵本ってなんか嫌だなあ。
しかしいつしかその本のことは子育ての忙しさ、
パートにママ友の付き合いに介護にすっかり忘れておりました。
しばらくして、自分自身を取り戻した後に
その絵本の作者はパクりものを書く、と偶然目にしました。
しかも心屋系の方々と付き合いがある、とか。(´-`).。oO
あー…だからか…
と、思いつつ、あの話で感動出来るオリジナルなんてあるの?
と半信半疑でオリジナルの絵本を読んでみることにしました。
結果、それは作画、内容共に大変素晴らしい話で。
この本を幼稚園時代読んでやりたかった…!!
早速、子どもにも読ませ、
キミはどちらを選ぶか、と問いました。
子どもはオリジナルの絵本に大感動していました…嗚呼。
さてパクり絵本は
”おひめさま ようちえん”
作者は のぶみ と言う方。
設定から全体構成、ストーリーほぼ盗んでいます。
あまりに嫌なのでリンクは貼りません。
そもそも、のぶみと言う方は盗作の常習犯の様ですね…。
セミナージプシーやセッション、スピリチャル、自己啓発、カウンセリング、心理療法、講座(なんでもええですわ)に、悪い意味で囚われていく(はまって行く)人は全く持って、このパクり本と同じ精神構造パターンと同じ状態だと言えると思います。
だから作者(のぶみ)さんはそういった方々を上手く表現出来たのではないかと。
以下、具体的に解説していきます。
では、パクり本、”おひめさまようちえん”
の、あらすじから始めましょう。
ある日、馬車と共に、お姫様に憧れる主人公の女の子のところに、馬車と共に”おひめさまようちえん”から迎えがきます。
そして体験入学をしませんか?と誘われます。
喜んで向かうと、幼稚園の制服としてドレスと宝石を選ばされます。
その後はお姫様なので砂金の砂場や夢のような場所で遊んだ後授業が始まります。
食べ方のマナーやダンスなどお姫様に必要な教養を学ぶためです。しかし主人公は、好き勝手にべちゃべちゃ食べるわ、ダンスも自分の好きに踊るわ、…先生は渋い顔に、呆れ顔。
とても入学出来そうにはありません。
しかし最後の竜に襲われた時に王子様に助けてもらうテストでのことです。
見てて!わたしがやっつける!!と主人公が竜の前に飛び出すとなんと最初に選んだ宝石から謎の光が飛び出して、それを見た園長先生が、おお、その宝石は持ち主のこころの輝きで光るのだ。あなたの心は自由で真っすぐなんですね、これからもようちえんに通いなさい。
そう言われて入学が決まります。
おわり
本物のオリジナルは
”のはらひめ”
作者:なかがわ ちひろさん
”のはらひめ”
作者:なかがわ ちひろさん
絵も可愛らしい。
素晴らしい。
では のはらひめ のストーリーを。
素晴らしい。
では のはらひめ のストーリーを。
ある日お姫さまを夢見る女の子にお姫さま城から使いが来て、我が城にてお姫さまの修行をしないか、と誘われてお城へ行きます。最初にいっぱいのドレスから選ぶを選びます。
それからは、おひめさまとはどう言うものか、世界中に居る姫のこと、ダンスの仕方、美しく姫らしく寝るやり方、階段の優雅な降り方、姫として身につけるべくありとあらゆる勉強をすることになりました。
最後の勉強は怪物と戦うこと。現代の姫は人魚姫も王子様を救ったように姫も強くあるべきだから、です。
主人公はどれもこれも大変な勉強でしたが全ての勉強をを立派にやり遂げていきます。
ついには、
がんばりましたね、あなたならどんなおひめさまにもなれるから、このありとあらゆるおひめさまの中から好きな方をお選びください。どのお姫様でもあなたならなれますよ。
そのリストには世界中のお姫様の名前が書かれたリストと
それに書き込むペンをもらいます。
主人公はしばらく考えた後、
のはらひめ
そう自分で自分を名付け、
自分自身はどういった存在で在りたいのかをみんなの前で宣言し、野原へと自ら手綱をとった馬にまたがって駆け出していきます。さよなら、楽しかった、そう言って。
自分の行きたい道へと、お姫様城から卒業していくのです。
(是非、絵本で読んでください)
おひめさまようちえんは、
あるがまま、自分らしさ、を勘違いし、
マナーを無視して(マナーとは同席者を不愉快にさせない氣使いですから自分のやりたいようにやることではありません)好き勝手に振る舞いつつ、謎の宝石(他力)の御威光で周りに良いんだ、と理解され、精神的な成長のない幼いまま、永遠の幼稚園に囚われている人
対
のはらひめ、は
憧れの存在に漠然と夢を見ていたけれど、いざやると知らなかった苦労があることもあることを知り、努力し、学び、そしてとにかくすべてやり切ってみた。
その上で、では、わたしは何をしたいのか、どう在りたいのか、を自ら考え、結論を出しています。
あるがまま、自分らしさ、を勘違いし、
マナーを無視して(マナーとは同席者を不愉快にさせない氣使いですから自分のやりたいようにやることではありません)好き勝手に振る舞いつつ、謎の宝石(他力)の御威光で周りに良いんだ、と理解され、精神的な成長のない幼いまま、永遠の幼稚園に囚われている人
対
のはらひめ、は
憧れの存在に漠然と夢を見ていたけれど、いざやると知らなかった苦労があることもあることを知り、努力し、学び、そしてとにかくすべてやり切ってみた。
その上で、では、わたしは何をしたいのか、どう在りたいのか、を自ら考え、結論を出しています。
その上で自ら名乗り自分自身の望む場所へ、
自らの意思で歩き出した人
と、読み取れます。
講座、セッション、何某、今の自分に生きつまりを感じていて
停滞した何か、を動かしたいのなら(囚われた自分を解放したいなら)新たな檻の中に入るような物を選ぶのはどうなのか、と。
さて、あなたはどちらを選びますか?
自らの意思で歩き出した人
と、読み取れます。
講座、セッション、何某、今の自分に生きつまりを感じていて
停滞した何か、を動かしたいのなら(囚われた自分を解放したいなら)新たな檻の中に入るような物を選ぶのはどうなのか、と。
さて、あなたはどちらを選びますか?
読書感、心を打つのはどちらでしたか。