今も現役で活躍中の有名な先生がいらっしゃいます。埼玉県越谷市立新方小学校長の先生で、授業に漫才などを取り入れていて校長室は常に生徒にオープンに開かれた場所です。困ったら校長先生のところへ、そこで将棋をしたりけん玉をしたり。
今はそんな活躍をされている田畑校長が新任から担任が決まり、の駆け出しだった頃のお話です。
まだ登校拒否と言われていて学校に1人しかいなかった時代、その子の担任に立候補します。毎日行けば、きっと心が通じる!!そう考え先生は毎日毎日放課後に通いました。結果親御さんと話をしたりしましたが生徒とは一回も会うことすら出来たことはありませんでした。
無力感に襲われる日々、結果を残せず評価されず、それ以上に忘れられないその生徒のこと…何がいけなかったのか、どうしたらよかったのか、自問自答し続ける田畑先生を更に追い込む悲しい知らせが届きます。共に教育に身をささげようと誓った同じ教師であり同志だった双子の兄が急死の知らせでした。辛い時、困った時、嬉しい時、共に一緒にいてくれた存在。
先生の中で何かがすべて音を立てて崩れていきました。
”もう、先生を辞めよう…”
そう決意した時、生徒から25歳の同窓会に来てください、と招待されます。
最後の務めだとその同窓会への参加をすることにしました。するとそこに先生、先生、と駆け寄る1人の生徒がいました。
その人こそ、当時学校に登校することが難しく、そして毎日先生が家に通っても会うことすら出来なかった生徒でした。
もと生徒はこう言ってくれたそうです。
「先生にいつかお礼を言いたかった。毎日先生が諦めずに通ってくれたこと、それがずっと今までの自分の心の支えでした。本当にありがとうございます。今があるのは先生のおかげです」
10年後の出逢い。
田畑先生は言います。
物事は現象じゃない。
学校に来れない生徒を登校させた、と言う現象を起こした、と言う成果ばかり求めたらいけない 学校には通うことが出来なかったけれど、生徒に想いは通じていた、それが大切なんじゃないか。
わたしも思います。
先生は生徒さんを本当の意味で救ったんだ、と。
これが誠意ある態度なのではないでしょうか。
その人を信じ、救うと言うことなのではないでしょうか。
満席アピール、集客アピール、成果アピール、人気アピール
確かに知りもしない相手に誰にも語らないできたことを託す為に何を目安にしたらよいのか、と言うことで
こんなにもわたしは出来まっせ!
と性能アピールではあるにせよ。
けれど、
トラウマを内在した人とは
やはり人を信じることが出来なくなってしまった人、とも言えると思います。
それは他人をでしょうか。自分自身でしょうか。
または両方かもしれません。
なら相手が信じられるまで、裏切られても信じ続けること、待つこと、が、心理セラピストの役割なのです。
人としての愛の体現だと感じます。
依頼者は来訪者は、来る、そして旅立つ。
しかしいつでも、
クライアントの心の中に、ああ、あれがあった、あの体験が、あの一言が
そう振り返られる、ある意味心の故郷でなくてはいけません。
物理的に帰るかどうかは別です。人それぞれ。
ですがセラピストはそこ、に居なくてはいけないでしょう。
どんな人も人生は流れ、人は変わる。
だからこそ、ある意味動かずにそこに信じる、と言う土台としてその場に居続ける、
それは母校に行けば居る先生、
あるいは故郷にある山、そんな存在として。
そうわたしがクライアントさんにとりなっているかはわかりません。
まだまだか、全然か。クライアントさんにとって、わたしが思ってもらえたかどうか、その判断はクライアントさんに委ねましょう。一瞬でも、一言でも、そうしたものがクライアントさんの心に在ればうれしいです。
そう在るように努力することがこの仕事であると思っています。