エセカウンセラーになぜ人は行き、 そしてそのエセカウンセラーのファンになるのか

1)一番わかりにくくて、見えにくい人、
それは自分自身です。

2)しかし同時に一番分かっている人、でもある。
それはそうです、本人だから。

この同時に1)、2)の真逆の二極性が自体をややこしくしている。

そして更に本人だからこそ、見えてしまったこと、
気づいてしまったこと、を直視しない、出来ない、したくない、
理由があります。理由だけでなく、なんというか感情もある。
で、本人だから影響力100%。
責任100%でね。
他人のことを好き勝手言えるのは他人だから。

でも介護や育児もうまくいかなくなるのは、
子どもや親、兄弟、身内、または夫、妻、という配偶者、と
自分に距離が近づけば近づくほど責任と感情の影響力が大きくなるので、
それに伴う感情の起伏が沈着冷静な判断、見方を狂わせる訳です。

つまりはメタ認知がより機能しにくい関係性が家族とも言えるのです。
しかし心理療法はどんなものであれ、その膠着化したとらえ方や、歪んだままの距離感、解釈を、課題に近づいたり、離れたりしながらピンとを合わせていく、メタ認知が機能しやすくする為に行うので、家族関係の改善に効果が期待できるのです。

ということで、
わかっていても、受け入れたくない感情、認めたくない思い、から
一番分かっていて、しかしわかりたくない、わからない人、が自分自身です。

そして、
その”わかりたくない”、が
強固であればあるだけ、潜在意識というか、身体というか、
そこの奥深くにしまい込まれてしまう。
しかし、やっぱり常に一緒にいるのは自分なので自分にまつわること、
人は自分の直さなきゃ、とか、
実はこれはやらなきゃいけないけど、ということは
心の奥底では気づいているものです。

それを薄々分かっている、まったく顕在意識上には浮上していない、などその人に認知具合には程度の差があるけれど、
しかし実は現状は理解している。

そう、誰しも理解しているのです。
しかし理解しているからこそ、

見たくない
知りたくない
忘れたい
やりたくない

と、課題から逃げ出している。

ここでエセカウンセラーの甘言に吸い寄せられます。

「いいんだよ、そのままで
だってあなたは頑張ってきたんだから」
「自分のそのままを愛して」
そのままの自分を労わって」
そのままのあなた=(やらない、見たくない)あなた、で。
あなたは悪くないんだよ=やらなくていいんだよ

本当はやめたくては、変えなくては、
でもやりたくない、知りたくない、人にそう言ってくれる。

しかしですよ。
冷静になってください。
今、生きづらい、困っている、悩んでいる、
のに、そのままでいいのでしょうか。

ありのまま、は違います。
ありのまま、はいいのです。

そのまま、が、問題なんです。
けれど、それをわかってないエセカウンセラー、セラピスト、
コーチは、”ありのまま”と”そのまま=現状維持”を混合しています。

なぜなら、そのエセカウンセラーも同じ課題から逃げている状態だから。
クライエントに言っているようで、自分に言い聞かせているのです。
でも自分に直接言ったら逃げた自分を発見してしまうので、クライエント(他人)に言いたい。教えたい。
人に教える、それをこういう人は上に立つことだと思ってますから、
優越感にも浸れる訳です。

また人に言うことにより、そのままで居て良い、という自己暗示をエセカウンセラー自身が強化することが出来ます。
潜在意識に主語はないですからね、クライエントやセミナー受講生に教えてるつもりで自分に教えてる(強化)している、というワケ。
そうしないと下手に潜在意識に接するやり方を知っている分(もちろん間違えて使っている状態ですが。料理を作る包丁で、傷つけることもできるように)自分が分裂しちゃうからね。
優越感に浸りたいのは、劣等感から逃げたいから、です。

誰よりも逃げたいのはそのカウンセラー自身なんですよ。

やりたくないことを、他人から
やらなくていい、あなたは変わらなくていい、
そう言ってくれるとほっとする。
あなたは変わらなくていいのだから。

変わらない、というのは、本人ではなく考え方を、ですからね。
そう、ありのままでいい、ではなく、今のままでいいよ、
=そのままでいい、なんです。

本当はどっかで変えなきゃ、どうにかしなきゃと思ってる。
実は本人が一番望んでいる。
だから本人がしない自分、
出来ない自分を責め続けているんです。
ずーっと責めてる。
だから、辛い。
だから、他人を怨む、妬む、または自分を罪悪感で傷つける。
なにかを傷つけずにはいられない。

しかしそこに
あなたは悪くないよ、と、言ってくれる人がいる。
だから救われた気分になる。
安心したような気持ちになる。

確かに責めている自分、自責の念、これは見食いする馬のように消耗する習慣ですから、それをやめることはいいことです。

ですが、
本当に変わりたいならば、課題に向き合い、
偏った見方、理解の仕方、世界との関わりを、
なるべく冷静になれるよう、自分の思考と感じる心があるよう、
あなたのバランスは整えなくてはいけないでしょう。
それが、あなたが変わる、ということです。

それは
例えば
バナナがある

という事象にあるがまま、受取り、
偏見がなくそのことを受け取れる自分になることです。

しかし偏った見方をするやり方、を変えない限り、それは叶いません。それはあなた、という存在が悪だから変える、交代、という意味ではなく、あなたは存在していいのです。
ただ、存在している時に、あなたが幸せになるために、
あるがままの事象を素直に受け止められる状態であれ、
ということです。偏った認知、解釈を手放しなさい、と。

それが虐待、不倫、買い物依存、閉じこもり、ネット依存、
不登校…共依存を生むからです。
共依存から抜け出したいなら、何かその繰り返してしまう習慣を変えなければいけないのだから。

しかしまた人は変わること、に対し恐怖を抱きます。
これも、ある。

それはいろんな人を見ていて、自分の体験を通して、
本当によくわかる。
変わること、は、存在の否定ではないですが、
やはりある種の再生、つまりは転生、生まれ変わることだからかと思います。
本当に変わる、という前、ほとんどの人が沈黙する。
長さは人による。
セッションが感激や喜びなどで終わる時より、
その沈黙の回の方が劇的な効果がある時なんです。
それはとてもとても地味ですけどね。
その回こそ重要。

前にセッションでクライアントさんと散歩したことがあります。
やはりセッション後のアクションを躊躇していたから、促進するために。

「あれ、してないでしょ」
「・・・後でします」
「そういうのね、しないから。今、しちゃいなね。
一緒に見届けるから、しようよ」
(作業して)
「・・・こういうこと、お茶会みたいな場で言われても頭に入んないでしょ」

「そうですね・・・無理だと本当に思う」

「覚悟できてないもんね、お茶会とかでは、理解できないよね。
本人が心から望まないとさ。望んでもさ〇〇さんさ、今日、ここで会って言わなかったら難しかったでしょ」

「・・・そう、ですね」

変わったら、もう元には戻れないから、でしょうね。
癖が出ることはあっても、変わる前と同じにはなれないから。
人はためらう。

けれど、もし、あなたが望むなら。
繰り返してきた人生の何かを、辞めたい、なら。
やっぱりその要因を見ないと、ね。

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