あらたのセッションに関して感想、その後のクライアントさん

【依存状態】から抜け出す為に必要な、モノ

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依存から抜け出す為に必要なのは、弾弓や厳罰ではなく、
真の繋がりを回復することだ、とプレゼンテーターのジョハンさんは
分かりやすく心のこもったプレゼンをしてくれています。

「依存症」-間違いだらけの常識

では真の繋がり、とはどこにあって、どうしたら良いのでしょうか。

わたしはこのプレゼンに大いに同意し、
また壮大な旅に出てくれたジョハンさんに心から尊敬と敬意を示したいと思います。
またきっかけをつくった彼の大切な家族が”つながりの世界へ”帰ってこれますように。

クライアントさんにパソコン前に噛り付いていた方がいました。
その頃、その方はパソコン上の繋がりに集中するあまり、パソコン内がリアルで、
隣にいた家族が逆にバーチャルな存在になっていました。
家族や自分の本当の身の回りにある社会よりも、ネットの世界へ浸かり切っていました。
パソコン内は華々しくて、ちやほやしてくれたから。
そしてパソコンの前では偽りの自分を演じられたから。
状態としてはSNS依存症と言っていいでしょう。

ではどうしたら、スマホやパソコンの過剰依存状態から脱することができるでしょうか。
パソコンの時間を制限する?パソコンを必要上に使ったら罰金を課す?
最悪パソコンを処分する?

答えはやはりジョハンさんと同じくこう、です。
やはり偽りの自分としてネットでつながった人とは距離を置き、
ネットで知り合ったとしても本音まで見てくれる人、
そしてその人のリアル社会での絆を取り戻す、こと、です。
なぜなら、その人がネットにはまってしまったそもそもの理由が
クライアントさんにとっての理想の家庭が崩壊していたから。
だいたい最初はきっとなんとかしたくてネットサーフィンを、そしてその内にネットの世界がラクである、とハマっていってしまったのだから。
家族に言いたくても言えないこと、そして向こうからも何も言ってもらえないこと、その淋しさを、偽りの自分を演じるネットでは反応があったから、受け止めてもうらことができたから。

でも、最初は良くてもだんだん”偽りの自分”であることはいくら受け入れてもらえたとしても辛いのです。
最近よく人気絶頂だったとしてもアーティストやタレントが休業するのはそうした葛藤によるものだと思います。
人からちやほやされても、本当の自分はこんな性格ではない・・・空しい、という現象※です。
(※生き辛いと感じている要因の一つにカール・ロジャースが提唱した自己認知のズレ、があります”自分が思うわたし像”と”他人が観ているわたし像”の乖離が激しいほど苦痛をもたらす、というものです。わたし個人としては更に付け加え3つの像の乖離が問題である、と思っています。3つ目の像、それは”自分生来のわたし像”と”自分が思い込んでいる自分像のズレ”です。またこれを同一にしていくことこそ、「本来の自分に還ることである」、とも)

そうこうあって、その方は わたしにご依頼されたのかな、と思います。
最初は家庭で淋しさを、逃げたネット先で虚しさを味わって、どこにも逃げ場がなくなってしまったから。

そうですよね、逃げたくもなります。
冷めた夫婦関係を経験した方は染みると思いますが、
よく言われる独りの孤独より、お互い無視し合った冷たい居間の2人の孤独はもっと絶望感と冷たさを感じます。
隣に人がいて、つい、温かさや絆を期待してしまうのに、体温や存在は感じるのに、それは応えてくれない物体でしかないのです。
応えてくれないくれないのは本当に辛い。
いっそ一人でいた方がまだ孤独としてもマシ。だって本当に一人だと諦めもつくから。

かなり長く時間はかかったけれど、
先ずは自分自身の心と向きあい、自分が理想とする自分の像ではなく
自分自身の本当の魅力や良さを見つけていきました。
また自分はどういう風に生きて生きたいのか、を見つけた時、
その方は家族の関係を法律上、解消する道を選びました。

そしてその続きがあるのです。

一旦、解消し、別れていった2人ですが、クライアントさんが
また昔の自分のより戻しと、本来の自分に揺らぎながらも
ゆっくりと本来の自分になる挑戦を続けたら、
元パートナーと本音で語り合うことが出来ました。

結果、もう法律上は家族ではないけれど、
今、父、母、としてお子さんのことを相談し合い、協力し合って子育てしています。
またお互いに対し、そしてお互いの大切なものを氣づかう間柄になっています。
子どもさんに対しても親、として対峙されていると感じます。
やっと本当の親、家族になれたね、という話をクライアントさんとしました。
それはクライアントさんが望んでいた理想の家庭像でした。
つまりリアル社会で”真の心の絆”を取り戻された。

だからもう、クライアントさんはネットを使うことはあっても使われていることはないと思います。
また失敗もしたことや、依存した経験がこそ、
きっとその方が誰かに話をする時に経験した人間しか出せない心のこもった言葉となって伝わることでしょう。

他でもセッション内でキーワードに、”手を繋ぐこと”、が重なりました。
春だしね、別れと新たな旅たちの季節だからこそ、もう一度あなたが繋ぎたい人は誰かを考える時期なのかもしれません。
上のクライアントさんの例にあるように、真の絆に物理的な距離も、法律も関係ありません。
だからわたしはクライアントさんがセッション内で繋いだ手(=心の絆)は、もう離さないで欲しい、と願うばかりです。

蛇足ですが、
たまに離婚しない、と決めて夫婦仲良しセミナーに行かれたり
どうしたら離婚しないですむか、とカウンセリングに来られる方がいます。
もし、真に自分の在り方を追求するならば、
上のクライアントさんの様な例もあるので、
”カタチにはこだわらない方がいいかもしれない”、
と わたしはアドバイスはさせて頂きますが、が、
ただし、どこまでをセッションゴールにするのか、
自己探求をとことんする、ということは様々な自立や覚悟も含む話ですので、
そこはクライアントさんご自身がお決めになられたところがゴール。
富士山に登る、と決めても
わたしは五合目で良いのだ、頂上まで行く、7合目までチャレンジ。
どれもそれは自由なのだから。

ですから、わたしもクライアントさん言ってばかりでは説得力がないので、
この前、仕事帰りに実家に寄って父に整体をし、子どもが近所で習い事だったので手を繋いで帰りました。
生きづらさをわたしに押し付けた老齢の父にあと何回整体が出来るだろう。
いつかタンポポの綿毛のように、自然に大空へと手放していかなくてはいけない子どもの手を何回握れるのだろう。
愛犬の頭をぐりぐり何回撫でられるだろう。肉球の匂いを嗅げるだろう。
一緒にあと何回、家族でご飯が食べられるだろう。
そう思いながら。

その一瞬、一瞬を大切に。
スマホは脇に置いておこうよ。

 

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