わたしの個人的な提案ですが、
心屋さんにご祝儀を渡すなら、
ご本人自ら何度も何度も
やりたいことをしろ、
と言ってくれてるので、
そのお金でもって、
あなたが主体的に、そしてあなたの為になる、
今、したい、食べたい、飲みたい、見たい、欲しい、何かを購入されるのは如何でしょうか。
心屋さんのブログは悩んだ方が見ている、と言う心屋さんの大好きな前提に基づき言いますが、悩んで疲れているなら、先ずは他人(=心屋)へのご祝儀ではなく、
あなた自身にご祝儀してください。
また、やりたいこと、の定義が心屋さんの場合、ブログから垣間見るほんの僅かなものではありますが、
やりたい=欲望
と、見受けられます。
欲望は誰しも持っているもので、人生たまには欲望に流されるのもオツなものですが
生き方=欲望
は果たしてどうでしょうか。
わたし個人としては、欲望は人生のほんの一部である方が望ましい、と感じてなりません。
牧野博士、日本の植物学者の第一人者であり、初めて日本の植物フローラ(図鑑)を完成させた人です。
小学校はつまらない、と退学しますが幼少から野山で日々を過ごし、自然を師とし、植物にひたむきに愛を注ぎました。
自分の生涯をかけ、日本中の植物図鑑を完成させ、命尽きるまで図鑑を改訂し続け、自らを植物の精だと言った彼の図鑑は牧野植物ブリタニカ、未だ現役で売られています。
また日本中に植物愛好者を育て、彼に会ったことがきっかけで植物学者になり彼の意志を継ぎ
今まだ採取をされている方もいる。
人生をかけてやりたいこと、
なのだと思う。
わたしにはそんな大それたことなんて…
出来ないし、才能なんかない。
いやいや地図に残る仕事や、有名になること、などが自己実現ではありません。
自己実現を提唱したマズローは客として招かれたある家庭の主婦の一杯のスープの在り方に感銘を受け(丁寧に愛情がこもった味ともてなしと仕草に)、自己実現は、このような形でもあるのだ、と氣づいた、とあります。
故に、禅の世界でも、修行の先に行き着くのは日常です。ある宗派ではトイレに行く作法の為に全部服を脱いでからするそうです。作法の目的とは、いかに一つ一つに命を込めて丁寧にやるか、を何度もやった時に行き着いた順番で、堅苦しく面倒、なものに見えますが、結局何をしたいかと言ったら、
今、ここに集中する為、にあるのです。形通りに身体が自然と動く無我の境地が 本来の 今、ここ ですから。
話が大きくなりました……
ですから、
あなたにも必ず何かあるのです。
人生をかけて やりたいこと、が。
そして出来る、ことが。
それは例えば、
自分の運命の愛する人々を受容する、ことかもしれないし、人と人が響きあい調和する場を作り出すことかもしれないし、仲間と一緒に苦楽を共に味わうこと、ただ一人の夫を愛すること、かも、しれません。地図にも、著名にもならないかもしれない。が、それは関係ないこと(なる人もいるかもしれないですが)
本当の やりたいこと、とは
あなたがすることで
心豊かになれること、
あなたがしたことで
この世を去る時に後悔しないこと、
あなたがやることで、
あなたも周囲も幸せになること、
なのではないでしょうか。