体感ワークをしているカウンセラーや
スピリチュアルワーカーが
言えれば癒える、
とか言ったりしますが、
あくまでそれは一要素に過ぎません。
そうしたことで、氣づいていく過程は確かにありますが、言う=癒し、では、ない。
それが 癒し だとしているならば
その施術者は浅いワーク内での体験と知識しかないと言わざるえない。
言えたら良いかもしれない。
言葉に紡げる想いもあるでしょう。
でもね、あまりに辛い想いは
言葉なんかにならない方が多い。
言葉なんかで全てを表せないぐらい傷付いた心だって、ある。
例えば、大災害で、戦場で、
累々と続く破壊と消えた命を前に、
あなたは言葉を紡げるだろうか。
本当に歓んだ時、
本当の悲しみに沈んだ時、
あまりの憤りに何も言えない時、
何日も食べ物を口に出来なかった後に
食べるおにぎりの美味しさを表現することが言葉で出来るか。
人はあまりの衝撃を目の当たりにしたら、
言葉に出来ない、ですよ。
言葉なんかじゃ足りない。
そして解釈、咀嚼する時が必要です。
それが出来た時に、ピカソがゲルニカを描くことへ昇華するように。
故に、人は芸術活動を必要としています。
人により、歌かもしれない、踊りかもしれない、絵、文学、彫刻……。
個人の体験も同じです。
その人にとり、衝撃が強いことなら
言葉だけでは、届かない。
言葉なんかじゃ表しきれない。
だから、たまにクライアントさんで
わたしは言えないし、わからないからカウンセリングやセラピーが苦手なんです、出来ないのです。
と、言われる方が居ますが、
あなたが悪いのではなく施術者が未熟なだけです。
心理セラピーは、
お母さんに対して本音を言うこと、が目的ではなく、(繰り返しますが言うことは一つの癒える工程の一要素)あなた自身の麻痺してしまった感じる力を取り戻すこと、です。
だからカウンセリングジプシーになっている方で、言えないわたしはダメかも、はなくて、選ぶカウンセラーやセラピストを間違えてしまっただけです。