今我が家の子どもは高校生になりましたが、
過去小学校の時に3回ほど月曜が多かったですね、「学校行きたくない」がありました。
「今日は学校行きたくない。お腹が痛い、かもしれない」
「ほう、行きたくないのか」
「今日は嫌」
「では休もう。前に言っていた映画に行こうか」
「あー、いくー」
「よし、では登校時間をさけてこの時間にこっそり見つからぬように
出かけようではないか。ただ大切な話がある」
「よろしいか。
学校に行きたくないのは何か疲れたか君なりの理由があるんだろう。
そしてわたしが感じるのは子ども時代よりも見張られてる息苦しさがあるから、君が行きたくない理由は違うかもしれないけれど、わたしならとっくに行かなかったかもしれない。
よく通ってるよ。
ただね、学校は友だちが出来る可能性がある場所でもあったりする。
君は同世代の子どもと遊ぶことが大好きだからそれは言っておく。
どんな場所にも良いことも悪いこともあるのだ、ということだ。
で、どんなことも休む、ということはそこから遠ざかる、ということだ。
そしてそこを長く休めば休むだけ、再び”行く”ということにはより大きな体力を使うことになるのはあるからそこは知っておきなさい」
「わかった」
と言うような会話をして、その時々で映画に行ったり、公園に行ったり美術館に行ったりしてのんびりした日がありました。
そして翌日、
「今日は休む?行く?」
「今日は、行く」
「休んでもいいけど?」
「いや、行く」
「そう、じゃあ行ってきな」
と言う感じでした。
しかし驚いたのはそれを今全く覚えていないことです(子ども本人が)
小学校2年生以下ならまだしも…記憶力大丈夫なのか…。
話してたら、「ああ、あったあったそんな日」どころか欠片も覚えていないという…。
まあ、どうでもいいですが。
今、改めて行きたくなかった理由を始めて聞いてみましたが
「行きたくないといったことすら覚えてないからわからない」
とのこと。
きっとその時はいろいろあったのでしょう。
あの子なりに表情は真剣だったから。
2人で学校の同級生に見つからずに家から街(遊びに行く場所まで)脱出できるか、キャーキャー言いながら道を隠れながら走りながらそっち見張れ、今だ、走れ、電車に乗ったらばれないぞーと道を探偵ごっこみたいに歩いたこと、わたしは覚えてるんですけどねえ。
その時、理由はあったのかもしれません。
またははっきりしたことはなくて、ちょっと息抜きしたかっただけなのかもしれません。
理由があったけど、自分でも何か、は分からない状態だったのかもしれません。
でも理由はそんなに大切ではないものです。
分かるのは後からでも構わないものです。
理由が分かっても物事は動かないから。
その時の感情が大切にされたなら、時間はかかるかもしれません、
でもね、自分で理由に対して対処していく道が見つかるから。
物事は動き出すのです。
それが一番大切。