学校一斉休校以来、
三食お疲れ様でございます。
それでなくも体調が悪い日も、
疲れた日も、雨の日も、
休みなんかなく365日
一息付く間もなくご飯を作って台所に一日中いた…主婦あるある。
本当にお疲れ様です。
過去のわたしもそうでした。
氣持ちはわかります。
休みの日なんぞは朝からご飯を作り、
食べてお皿洗って、さて次の昼ご飯・・・終わりのない仕事は本当に疲れる。
(コロナが疲れるのも、夫婦険悪状態も、
先が見えないから疲れるのでございます)
挙句、
他の家族は食事が出てくるのが当たり前。
出てきた出来たてを食べたら
テレビを観て、スマホをいじり、ひっくり返ってる。
わたしはずーっと働いているのに。
家事ってなんだか専業主婦=奥様=女の仕事、的な話になってますけど、
それって日本でも結構歴史の浅い概念で。
江戸時代、子どもを産んでも親が亡くなること、兄弟が亡くなること、本人が亡くなることがざらだったので、だれだれの役割、なんて固定していたら生き延びられなかったので(将軍やら大名、金持ち商家は別として、でも歴史に目立って残りやすいのはこの人たちだけど)隣に紛れて食事をする、育てる、お父さんがこれ、などと言ってる場合ではなく、やれる人が、やるという感じでした。
社会学的にも専業主婦ってあだ花なのです。年金制度もね、戦後の特殊景氣のおとし子で、特殊なんでござるよ。
つまりモデル破綻してるの、無理なの。
それをこうなんだ、と追うのは幻を実存させようとするような、もの。
家電の進化がその幻想を維持できるような錯覚を助長させてる氣がしなくもないけどね。
そもそも家事って家のこと、でしょ。
家の事、=家事だったら
家族全員でことにかかるように移行していきましょうよ。家の構成要員が、みんなでしなくては。それぞれが出来ることを行うのが望ましい。
どんどん家族に振っていきましょう。
家族に家事は家族の義務だ、
と教えないと。
「え、おれは、ご飯なんか作れないよ。
それに会社じゃん」
「さようですか。
あなたも外での仕事お疲れ様です。
そしてわたしも疲れていますので
1日は休みが欲しいです。
よって、あなたのお小遣いの中から、
コロナ中の昼代を1日、あなたが協力してくれた、と言うことで出してくれるとわたしは嬉しいし助かります」
労働で出来ないならば
(才能なのか時間なのか)
先ずはその人の余ったリソースで協力を求めることが肝心です。
またこうした事態が長く続けば、
おれはカレーぐらいなら作った方が
小遣いが減らない
そう氣がつくかもしれません。
またそう夫を教育していくこともいいでしょう。
また子どもにも、どんどん振っていきましょう。男子厨房に入らず、の様に、最近の日本人は、花よ、と特に男子を過保護に育て過ぎました。
洗濯物の皺が伸び切らず干からびたミイラになってイライラするかもしれません。
掃除機をかけたはずなのに足の裏にいっぱいゴミがつく。
自分でやったほうが早いはず。
それに人に適切に的確に指示を出すのは
実はとても頭を使います。
また文句や苦情、しかめっ面と向き合うことも多くなる。
そう、教育とは忍耐と努力の背中合わせ。
やる人より指導、育む側の知恵と努力と忍耐が問われています。
子どもの将来の為、
そこは親としての責務だと氣長に忍耐しながら教育していく他ないでしょう。
未来の妻、夫に同じ苦労をさせてはなりません。そう、これは親の義務です。
(本当これこそ疲れますが…特に思春期。
やれもしないのに偉そうに言い返して口ばっかりで)
しかし、家事をこなせることは独立への一歩です。
いくら家電が進化しても、
また、コンビニで買えるじゃん、
中食あるよ
買ったほうが安いよ
献立キットを頼めば切った食品が届くよ
お金で解決すればいいよ
家族の協力、団結、友人知人との助け合いこちらをしないで、
ただそう勧めることは単なる絆の断絶を
呼ぶだけです。孤立の道です。
人と共に自立して生きていく大人へと子どもを育んでいかなくてはいけません。
そもそも今や日本は特に生産、流通はぎりぎりで賄っています。農業事業者は平均年齢70歳。今後10年でどうなるか。
農業の生産現場、漁、食の現場から、様々な工場は外国の実習生と言う名の元の
搾取されがちな労働者によって成り立って
成立させているのが現状です。
安くすること、それは企業努力もありますが、しかし必要以上の価格破壊は弱い立場の人から搾取するしかない、という構図が地球規模になったのがグローバル化なのだから。
具体的にクーポンで仕考えてみましょう。
安くした、しわ寄せはどうしてるのでしょう。
巡り巡ってあなたの知り合いの誰かの給与が減っているかもしれません。
知らない誰かの非正規雇用が増えているかもしれません。
webでホテルの比較値段を安い価格を提示するシステムを開発した中間マージンで稼いでいる企業は頭がいいのでしょうけど、その会社は何かを生み出してはいません。
しかしそのサービスの結果、宿は必要以上な過激な競争にさらされ、良質な宿のサービスの維持より経費を削っていく。
泊まるのは誰でしょう、あなたかも、しれません。
さて、どちらの企業がまともな社会活動をしながらの利益追順をしてるのでしょう。
選ぶのは消費者である、あなたの意識です。
そして今、コロナで各国は鎖国の様な状態。ないなら海外から買えばいいじゃないは通用しますか?
コロナによって人の流れが途絶える、とは
その生産工場の仕組み、農業の現場、漁の現場、また流通、全てに影響を及ぼしていくと推測されます。
その時、買った方が安い弁当、冷凍食品などが維持できるのか、わたしは疑問です。
今の世代より、子どもの世代はどうなるのか未知数でしょう。
では牛を飼い、畑を耕し、川に釣りに・・・綿花を育て。
出来たら良いですがそれはなかなか難しい。
しかしながら出来る限りの範囲から、
自分で出来る技能を鍛えておく、
練習しておくことは望ましい。
だとしたら、最低限、出来ることから初めておくことは生きる上で役に立つのではないでしょうか。
例えそれが些細なことだとしても。
またね、
本当の生き物が感じる悦びってものをもう一度考えて欲しいです。
沢村貞子さんは料理上手で知られた人ですが実はもともとは食には関心がなかった人。食材も好き嫌いが激しくて、量も食べれなくて。
ですがあるロケで体力のなさに、
これは駄目だ、と悟り、その後駆け落ちのように一緒になった恋旦那さんの為に
何十年もご飯を作り続けました。
でも旦那さんの死後、
ご飯をほとんど作らなくなった。
それは、
食べてもらう人がいる、悦び。
一緒に美味しいものを食べる悦び。
作ったもので誰かを笑顔に健康に出来る悦び。それが一人では共に分かち合う人がいない…
だいたい一人暮らしになると、オカズの品数は誰でも減るし簡単なものでいいか、となりがちです。
誰かのために作る
あなたのごはんを待ってる人がいる
これを作ろう、そう思うことがある。
誕生日か、あの好物を作ろう。
ここに一手間、喜んでくれるかな。
美味しいって笑顔になるかな。
それは、しあわせの種でもあるんです。
それをたった1人に押しつけて疲れでその心を殺したら駄目よ。(または押し付けられて我慢して心を見失ったら駄目よ)
だからこそ、
それを他の家族にも知ってもらおうよ。
作り、作られようよ。
「うちのお母さんは料理に昆布をなんでも入れるからカレーにも昆布が入ってて普通は入らないって大人になって知った。
で、大学時代友だちと作ってて恥かいたなあ。でもさ…もうお母さんの変なカレーはもう食べれないんだなぁ」
わたしはそんな風にお通夜で子どもが話してくれたらいいな、と思う。
家事は”家の仕事”。
一人の人間に過重労働をさせてはいけません。
みんなで分担して支え合って生きて生きましょう。
家族みんなが協力しあってやること、が大切だよ。
それはお金を稼ぐことも同じ。
だからもし主幹が夫なら、それはそれで感謝しよう。
そして、それぞれが同じような負担ではないけれど、でも。そしてそれぞれの分野にリーダーは不可欠で、それは威張る為ではなく調和を保つ為。
だから威張ってはいけません。
リーダーの調整に協力しながら、家事は誰々がリーダー、稼ぎは誰々がリーダー。遊びは誰々がリーダー。
そんな分野ごとに誰しもが得意分野でリーダーになり、互いに互いを尊敬、尊重しながら、やっていこう。
だからあなたがもし家事リーダーなら、
してくれたら当然、子どもであろうが、
それがミノムシ洗濯物(シワシワ干し)であろうが、労働にはお礼、を。(しかし指導はしっかり。)
先週から卒業が相次いでますね。
今年は縮小で見送りがなくて……
卒業おめでとうございます。
