”自己肯定を高める”生き方の提案生きる、そして命について

素直に、自分の氣持ちを伝える、自分の姿を見せる

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最近はずーっと、
いや、これからも、なのか。

自己回帰セッションはなー。
叱られた、とかさ。
うーん、わたしは叱ると言うより
あなたに決断を、選択を尋ねている。
今月も何回決断を迫ったか。


長く悩み、迷い、苦しんできた。
それを、あれがあったから、 
今、わたしはわたしを構成しているのだ、
そう、もがき足掻き、闇の中で
何度も何度も慟哭してきた
その時間を肯定する為には、


あなたは今度こそ、真の幸福の中で、
愛する人々と満ち足りた時を過ごさなくてはいけない。自分を真に大切にしなくてはいけない。


悩んできた時は、全てが袋小路で
絶望的な程、逃れられない、
道が見えない状態だった。
ならば、泣いていい。
時に逃げることも必要だろう。


しかし、道も複数あり、
今、あなたがすべきことが分かり、
見えているのに、
また昔の逃げてきた癖、
誤魔化してきた癖、
自分に偽りをする癖、
それらを続けようとするから、
わたしは問う。


あなたは、
今からはどちらの道を選ぶのか。
あなたは、どちらの道を行くのか。
戻るのか、過去へ、と。
それとも自分を愛する道へ勇氣を持ち進むのか。


あなたが、それを聞いてグサグサ心に刺さるのは、またうっかり誤魔化してしまう甘えを何より自分で分かっているからだ。


素直に自分の氣持ちを伝える、
それは恥ずかしい、と言う。
わたしにはわからない。

愛する人がいて、その人に愛している
あなたが大事だと伝えることと、


それと


自らを偽わること、自分を認めないこと、
どちらが恥ずかしいことだと言うのか。

わたしは愛する人がいること、それは人生の宝だと思う。そしてそれを伝えること、それは人生の輝かしい瞬間だと感じるよ。


確かに真の自分を見せることに躊躇はある。それは良くわかる。
多分死ぬまで何某躊躇はし続けるのが人間ってもんじゃないのか。葛藤を抱えながら生きていく。矛盾や混沌も、ある程度は友達だ。


わたしはこの仕事で、
時にクライアントさんに援護する為に、
結界を張ったり、場を浄化したり、
心の声を感じたり、
まあ他にもすることがあるのですがね。


それをクライアントさんに伝える時、
正直…あー、この人、頭大丈夫かって、
(不思議ちゃん?とか( ;∀;))思われるだろーなー、と一瞬(永遠…?)かすめますよ…ええ。これを読んで頷いてる人以上に重々わたしが……痛いほど(ノД`)
(だからこの仕事したくない、と始める前も、始めても、そりゃもー葛藤が。
と言うか書いてる今、現在やけっぱちですよ、わたしゃ)


でもクライアントさんを守るのが仕事だし、そもそもその感覚を含め自分自身だからしょうがないですわな。
それ比べたら、ちょっと抜けてるとこもあるのが自分なの、とカミングアウトするぐらい一般社会の中の発言として受け取れば、わたしのイカれた発言より…とは、
思わなくはないですが…本人にとってはやっぱり同じがそれ以上に躊躇と重みがあるんだよね。


ま、(わたしが)氣を取り直し。


しかしだ、
もし天然な抜けた自分(自分が思う恥ずかしいところ、ダメなところ)、を受け入れてくれない人がいたとしてさ。
そうしたら、その相手が社会的に
どんなに条件的に素晴らしいパーフェクトな人でも、今や、あなたには断る権利があんのさ。 

ましてやあなたのさ、
恋人や家族や親友としてのカテゴリー内ならば、
わたしを丸ごと受け入れてくれないならば、わたしはあなたを認めなくていいし、
その人から去りなさい。

だって、丸ごとのあなたを受け入れてくれない人がプライベートな輪の中に居ることは、しあわせではないから。
もちろん、あなたは相手のまるごとも受け入れないとね。



あなたは、それを含め、あなた。
わたしも、それを含め、わたし。


それとさ、
あなたが見つけた人を信じなさいよ。
あなたがダメだと思う部分を認めてくれるような素晴らしい人に決まってるじゃない。
そしてさ、自分を信じなさいよ。
今度こそ、そんな人を見つけてきた、
自分自身を、さ。

 
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