学校、職場、ママ友、何かのサークル、友人関係、家庭内、どこ、どれも、の人間関係に悩んでいるなら、先ずするべきこと、は
存在を認めること、
そしてその存在に共感すること、
です。
それは相手だけでなく自分自身も含まれます。ある人は自分をおざなりにして他者ばかり見ているし、ある人は自分自身の世界のみに閉じこもって他者も自分自身も見てはいない。
見る、は認める前のもの。
本当に見る、とは知りたい、と言う気持ちがあるからそれは観察になり、相手を知ろうとする(または自分自身を)ことの始まりだから、です。
見る=認知(行動)
観察する=眼差しを持つ=興味を持つ(心が動く)
行動し、心が動くから、何かが産まれる基盤が出来ます。
知ろうとして、あなたの心にその対象者の新しい側面を発見する誕生なのか、
新しい2人の関係の一雫の誕生か。
そうしたらまたその誕生したモノに、心が動く。
因みに重要なことを。
対象者を興味を持って知ろうとする
=観察する行為=わたしの意見は入らない、対象者とは何なのか→発見
と
対象者を理解しようとする
=判断する行為=わたしが対象者に対してどうなのか自分の意見を述べる→ジャッジ
※理解はことわり(理 ルール)にのっとり解体(解)する、ですから判決と同じ分析ですから。発見はしないです。
となります。
だいたいの人は相手も自分も悩みも理解しようとしとる訳ですな。
または理解されたい、と。
子ども、妻、夫、父、母、上司、友だち、ママ友、同僚、お局を
なんで?!あの人こうなの?!
理解出来ないよ〜!!
(ね、理解したい、だよね。「ジャッジしたい判決を下したい、わたしが正しくて相手は間違ってるんだから!または常識的には違うでしょう?そうだよね、そうだと言って!」)
で、カラクリとか心理学的な説明で理解したいから、セミナーやら本やらブログやらでお勉強をする、と。理屈や事例を聞いて、
なるほど、なるほど、だからかー
と自分も相手も分析理解して解消した気分になる、と。
本当の勉強は観察の扉なんですけどね…現代人は理解が好きやね。
いや、理解が好きと言うよりわかった状態が好き、というより、
分からないという不安が怖い、もある。でもこれが息苦しさを産んでんだけどな。
そのただフラットに見る=眼差しにより感動が産まれるから心が動く、そして共感が始まる。
まなざしは共感、共感の始まりです。
自分自身に共感、共感出来ない人は他人に共鳴出来ません。
他人と本当に共鳴出来なければ仲間にはなれません。
他者に眼差しを持つ、まなざしは愛ざしとも書きます。
ただ視界に入るのではなく
また嫌だな、と視界を逸らすでなく、
自分の意図を持ち、自己へ他者へ愛ざしを持つことが人間関係の始まりですよ



