どんな時も、どんな人も、どんな場合も

良いこと、悪いこと、
どちらでもないこと

 
どんなことも人生という長い旅路で
考えたなら聖人君子であろうが起こり得ること。
 
 
産まれ、
出逢い、
共に過ごし、
喧嘩し、
和解し、
別れ、
再び、めぐり逢い
 
繰り返す中で。
 
 
その寄せては引く様々な事象の中で出来ることそれはそのことに対しわたしらしい対応が
 
出来るか
出来ないか
 
で、あろうかと思います。
 
 
 
遠藤周作は、日本とキリスト教の狭間を描いた作家ですがマリアにおける母性愛へ回帰が印象的で、わたしも大好きな作家です。
 
さて、彼が病の床で最期の時、
入院した病院で奥様とされていたことそれは死に顔の練習でした。
穏やかに微笑んで、逝く。
 
これはどうかな

 

あらあら、まだ、それは

そう会話しながら。

 
 
寿命は、変えられません。
(というか、選んだタイムラインにより変わっていく、部分はありますが、死は免れないから)

 

ですがそれをどう迎えるのか、はその人自身が決められること。
 
 
それは、
どんな時も、どんな人も、どんな場合でも。
 
 
遠藤周作は穏やかな笑顔で逝きたかった。

 

自らがマリア様に逢えるから?
または遺された奥様へ、
(遺族の方々へ、ご友人へ)

わたしはあなたと共に生きたからこんな顔で逝く様にしあわせであった、ありがとう、と言うラブレターなのかな、と、
わたしは感じました。

 
 
それが、精神的な自立であり、誰からも奪えぬ尊厳であり、あなたの自由の光である、と。

 

会社が不安で、苦しくて、家庭が殺伐としていて問題だらけな状態だとしても

だからこそ、
わたしは、どう在るかを考えてみてください。

そして、そこで出来る小さなことを始めてみましょう。

在り方なんて、わからないなら以下の行動を試してみてください。

不安なら、

心が不安に追われているのだから、呼吸をゆっくりと意識してしてみる。
 
 
苦しいなら、
心が、ぎゅーと締め付けられているから手を広げてみる、広大な景色を眺めてみる、
 
 
殺伐とした感じがするなら
心が寒がってるのだから自分自身を温めてあげてください。
先ずは自分を抱きしめてみる。
 
 
対処法ですが。
少しは、ゆとりが生まれるかと思います。
 
 
根本治癒の場合は、ご相談ください。
 
どんな時も、どんな人も、どんな場合も
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