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【重要】「あなたも、わたしも、”仲間” であるならば」 その1
アドラーの提唱する”仲間”という共同体感覚ですが その仲間になる為には最低条件があります。それは互いに対してライバル心がないこと。だから、あなたの特技があるから教えて欲しいな、協力してよは、あるけどわたしが〇〇を、教えてあげるは...
仲間を図解していきましょう。
信頼
↓
尊敬
↓
仲間
↓
愛
(:図A)
上記の順で人は
対 人と人の交流を深めます。
だから、
集まったー
ランチしたー
飲み会したー
遊んだー
誘い合ってどっか行ったー
などは
仲良し、な間柄。
仲が良いお友だちと
交流した、ってことです。
それはそれで楽しい時間を
共に過ごしたのですから
とても良いこと、
素晴らしいことです。
しかしそれは仲間、 では
ありません。
では、仲間とはなにか(:図A)
の順を追っていきましょう。
人と人の交流の質を
より深めるには
その相手を先ず
尊敬しなきゃいけませぬ。
尊敬とは、
相手を上に見ることではなく
”それが あなた なんですね”
と、ありのまま相手を
対象者の”尊厳”を
尊重して受け入れること。
信頼とは、
なんかしたから、
とか
この人といると得する
とか
頼れる
とか
楽しい
とか
全くなしに、
無条件に、相手を信じること。
なので、
一番最初の順番(:図A)
に戻ると
対象者の”尊厳”を尊重し、
その人の”あるがまま”を受け入れ
+
無条件に信じた人が
↓
= 仲間
うん、なかなか難しい。
それを、更に深まると愛になる。
愛とは、
人のあるがままを、
無条件に信じ、
+
恕(ゆる)せた時※
起こり得る、奇跡のような光
なのだと思います。
生涯を通し、何回この光を
人生の中でスパークさせられるか、
それが誰しもが人生をかけた
チャレンジだと
言えるのかもしれません。
※「恕」という漢字は、「如し」の下に「心」と書き、「寛恕」とか「宥恕」というように、自分の心のようにおもいやる、あるいはいつくしむという意味をもっていますが、もともとは「自分のことのように思う」ということです。(私の心と身体の健康作り 日野原重明)引用
