自分の中の”偏見”や”差別”を なくしていくには

本当の意味で
差別をなくすために必要なことは、
 
○○ハラスメント、や、
新しいカテゴリーの人々の
呼び方を作る
新しい病名をつける
ということでは
ないのではないかと思います。
 
 
その言い方はハラスメント、だよ
ということ自体が
また、言動の制限を感じるからです。
 
ハラスメントハラスメントのような。
 
 
とにかく、
この発言がダメ、
言い方が悪い、
ということから発想が
いけないと思うのです。

 

同じことを生むと思うのです。
 
 
 
わたしは昭和生まれですが、
テレビや、社会から
差別だと差別用語が消えたり、
一見きれいなイメージの言葉に
置き換えられてきました。
 
 
しかし、
差別は減ったどころか
ただただ用語が増え、
そしてイメージが悪い用語が消え、

 

そしてそうした人々は、
母体数が少ないから
経済活動の摩擦になるから
合理的集団生活において
邪魔だからと、抑圧されたり

 
結果、社会的に
存在が消されてしまったり
してきたように思います。
 
 
本当に、言語は社会の反映だと
つくづく思います。
 
そうして社会は一見、
目の前はただただ、綺麗なものだけ。

 

工場製品のような揃った野菜、
大人しく仕事をする社員、
いじめのなく見える子どもたち
 
悪いもの、
暗いもの、
汚いもの、
は ないものだ、と。
 
しかし、そんな臭いものに
蓋をするような
方法でよいのでしょうか。
 
 
そろそろ発想自体を
変えないといけないのでは
ないでしょうか。
 
 
どう変えていくか。
 
あなたもわたしも社会の一員です。
あなたが、先ず一歩動く
ということは
一見なんら変わらない感じですが
しかし小さく社会も一歩動いた、
ということです。
 
 
だとしたら、
差別や偏見のカテゴリーを
少しづつでも
自分の心から
外してしまう、
なくしていく、
ということを始めたら
良いのかと思います。

 

相手が、
トランスジェンダーの田中です、
と自己紹介してこられたら
トランスジェンダーの
田中さんですね、と。
そのまま受け取る。

 

トランスジェンダーってことはホモ?
オレ襲われちゃう?みたいなことは
しない、ということです。
妄想ですから。

だって、性別以上に
好みあるんだから
目の前に人がいたら
すべて恋愛対象になるわけ
ないじゃないですか。

 

銀座にお住まいの人なら
銀座にお住まいの人、です。
銀座!高いのに、金持ち?!
とかも、なし。
銀座に住んでる人、で終わり。

路上にて生活している人、
なら
今は家がなく、
路上にて生活している人、です。

 

ただ、受け止めたなら、
ここに空き家があるから
住みたいか聞いてみる

仕事があるから、
やってみたいか尋ねてみる

という新しい展開に進むかもしれない。

 

多動の子どもなら、

 

あら、落ち着きがないわねえ、
うるさくて授業が進まない、ではなく

この子の個性としては
この時に動きたくなる傾向があって、
その時はこうした動作を
5分思い切りすると
氣が済む持ち主だ、
という風に、
先生は見守ってあげて欲しい。

 

そのまま受け取る、
ありのまま、描写する、
そういうことを進めると
物事は前向きな方向に
進むのではないかと思うのです。

 

今までは

  • 勝手なイメージから自分勝手な妄想という感情を相手に抱く

   ↓

  • その感情をベースに、相手に接する

だったのを

 

  • そのまま受け止める

   ↓

  • それに応じた対応をする

   ↓

  • 結果双方の言動により感じたことを感情として受け取る

と、してみたらどうでしょうか。

 

世間の常識に囚われず、
今、ここに、その人と自分という
対等な関係を築くことが
出来るかと思います。

 

自分の中の”偏見”や”差別”を なくしていくには
タイトルとURLをコピーしました