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真の”反省”と”自分責め”の違いとは

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反省とは自分を責めることではありません。

自分に、
そしてどんな自分を取り囲む状況、
起こった出来事、過去、今、未来に感謝の念が湧き上がること、です。
そして関わってくれた人、他の命、全てに感謝できることへの始まりが
反省というものの先にあるもの。

よく犯罪の加害者の方々に、幸せになるなんて、被害者のことを考えろ、自分だけ幸せになるなんて信じられない、と外部から声が上がります。

しかしわたしは最近強く思う。

犯罪を犯した人が本当に反省し、被害者の方へ贖罪出来る為には加害者が幸せにならねば出来ないと。

全員ではありませんが加害者になる人たちは生育環境が適切ではないことが多いです。機能不全状況で育つこと、それは情緒不安になり感情のコントロールが出来ず、また共感能力が欠如しがちです。また栄養が足らず脳の発育も悪くなる。つまりは脳の歪みと発育異常となってしまう。

これには適切な人間関係の中で認め認められて、成長し、自分も居てよいし、他人の痛みも感じられるようにならないと無理です。そしてそれこそが幸せ、でしょう?

そしてそれは人間になる、と言うことです。どう言うことか、たった一人他人への共感もなく自分の欲望を埋めることだけに生きてきたヒト(生物的ホモサピエンス人)から→人間(社会性を持った人)になる、という事。

人間とは人と人の間の中で関係性がある、と言うことです。あなたの幸せ、悲しみを感じ、また感じてもらえる関係性があるのが人間。しかしそうなる為には為にはそうした愛の関係性がなくてはなれないのだから。そして繰り返しますが、その関係性の中で生きている、それが人間の幸せ、です。

だから加害者が”人間(社会性を持った人)”にならないと真の被害者の無念、苦しみ、悲しみ、被害者家族や友人の慟哭を理解も感じることも出来ない。感じもせず真の反省もせず、ただ損得感情で、または強要され口先だけで表面的に反省文を書く、言う、また刑期を満了する、で被害者や被害者家族は浮かばれるのでしょうか。わたしは被害者が浮かばれる為には、加害者は被害者の悲鳴を身に染みて感じきることが必然だと思います。それには真の反省(客観的に自分のした行動を分析し省みること)をし、被害者の慟哭と無念を聴くことがなければ真の後悔がされることはないでしょう。
それをしてやっと初めて加害者は罪滅ぼしへ至る道が見えることでしょう。
そう、加害者が人間としての幸せ(自分を理解し、相手を理解する関係性を築く)を手にしなければ、その人本人がそれを手にし、味わうことが泣ければ、その一番尊くて大切なもの、それを突然の理不尽な暴力により奪われてしまった方々の苦しみ悲しみ痛み辛さを身をもって理解することが出来ますまい。

知ったから、分かったから、自らの手で奪ったものの尊さがわかるのだから。

そうして初めて己の犯した罪の大きさがわかるはずです。

そうでなくては被害者、被害者の身内の方々が浮かばれない。
加害者側がどんな厳罰を受けようが、それでは被害者側の方々の一時期の憂さ晴らしにしかならないです。なぜなら大切な大切なあの人の笑顔と人生が奪われたのだから、奪った人の本当の後悔と謝罪と罪滅ぼしへの行動がなくては、どうして理不尽な暴力に振るわれた側の方々が何かを”赦す”方向へといかれるのでしょうか。(ただ加害者が真に反省したとしても、それでも暴力が酷ければ酷い程、赦す、そして癒されないことが大半でしょう、でも怒りの手は少しだけ、ほんの少しだけ力まずに居られると思うのです)

だから、わたしは加害者が本当の反省と慚愧の念に至って欲しい。
これがせめてもの、双方の魂の救われる道だから。

だからこそ、全ての人間に幸せになる資格があるのです。
いや幸せにならなくてはいけないのです。

そしてタイトルに話を戻しましょう。
よく安易な自己啓発や心理セミナーで反省しなくていい、改善したらよいのだ、とか言いますが、それは反省=自分責め、だと勘違いしてるから。

反省とは振り返って事実を正確に見て、自分が本当にやるべきことを導き出すこと、です。言動に過ちがあったとしたらそれをより適切なことへと直すこと、それはあなたが悪いから、ではなく、あなたをよりよくすることです。なのになぜ自分を責めることになるのでしょう。
”こんなことをしてしまった、だから私は駄目なんだ”
”あんなこと言ってしまった、だから私が正確が悪いんだ”
→このようにアダルトチルドレンの人は思考する癖がある、これが自分責めです。すべての悪かったことは自分に原因がある、と考えるやり方です。なにがあろうが自分が悪い、となる思考です。そしてライトによくよういられる言葉に”わたしってバカだから”という、わたし○○だから構文があります。
これはいけないです。それを言い訳に自分なりの努力を放棄することで自分の可能性を自ら閉ざすことになるからです。


本当の反省とは、たとえあなたが怠けてしまってやらなかったことがあったとしたら、
”またいいやって逃げた自分がいたな、この部分はいい加減やめてみよう。その為にはどうしたらいいだろう。またいいや、って感じたら、本当にいいの?そう自分に聞いてみよう。よし、次はそれを取り入れてみよう”自分のダメだったり、弱かったりした部分を受け入れて、より改善し努力する為の道です。


ですから正しい反省が出来たなら、あなたはきっと過去の自分、今起こっている苦しいこと、悲しいことすら感謝することが出来るでしょう。

人生に苦しみ悲しみ孤独などもはあります、そして喜びも。
しかしながらあなたの人生に無駄は”ない”のです。

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