昨日、たまたま、ふらふら寄った場所で
野生のコーヒーに出逢う。
野生のコーヒーに出逢う。
出逢うモノ(人、物、他)は、
必然にすることは出来る。
必然にすることは出来る。
それは自らの状態を、
好く(よく)することだ。
好く(よく)することだ。
好いとは…人の性質や物事の状態が、好ましいこと、良し悪しではない。
つまりは、あなたがあなたらしくあること、で氣は拡がり、深く地に足を着けることが出来る。
つまりは、あなたがあなたらしくあること、で氣は拡がり、深く地に足を着けることが出来る。
好い状態なら、それ同等のモノに氣付くことが出来る。しかしそうでないなら価値に氣付くことなく通り過ぎるか理解出来ぬままに終わるだろう。
好いモノ、好い人、好い何か、それは実はあなたの周りに既にある、のだ。
しかし心を閉ざした人には見えない、感じない。それどころか同じように閉ざした人に惹かれてしまうのだ。
セラピストやらカウンセラーやらセミナーやらも同じこと。
同じような人が集うことがほとんどで、そこから抜け出る為の人は選ばなかった。
だから嫌いな効果ない人たちもやたら有名と言えばよいのか、人氣があった訳だ。(あ、嫌いな人に惹かれる人は逆に効果を感じた、と感じるけどね。だって大抵そう言う施術者は自分の悪いところを褒めてもらったり肯定してくれるから。しかし悪いところは誰しも持っていて、そこは自分なりに自制せにゃならんですよ)
セラピストやらカウンセラーやらセミナーやらも同じこと。
同じような人が集うことがほとんどで、そこから抜け出る為の人は選ばなかった。
だから嫌いな効果ない人たちもやたら有名と言えばよいのか、人氣があった訳だ。(あ、嫌いな人に惹かれる人は逆に効果を感じた、と感じるけどね。だって大抵そう言う施術者は自分の悪いところを褒めてもらったり肯定してくれるから。しかし悪いところは誰しも持っていて、そこは自分なりに自制せにゃならんですよ)
けど最近は氣づきやすい時代になった。
あれ?と思うことはない?
誰かに背中をぽん、と。
それは止めてるんだよ。
まあ、そう言う役割の存在がね、有るし動いてらっしゃるようで。
と言うことで何か違和感を感じたならば離れることを、わたしは勧める。
あれ?と思うことはない?
誰かに背中をぽん、と。
それは止めてるんだよ。
まあ、そう言う役割の存在がね、有るし動いてらっしゃるようで。
と言うことで何か違和感を感じたならば離れることを、わたしは勧める。
コーヒーに話を戻す。
野生はパワーが違う。
なぜなら飼い慣らされたものではない、
つまりは自らが、そうなりたい、と願ったままの味、つまりはあるがままの味だからだ。
だから飲めば一つは氣が拡がり、
もう一つは仙骨に力が入る。
野生はパワーが違う。
なぜなら飼い慣らされたものではない、
つまりは自らが、そうなりたい、と願ったままの味、つまりはあるがままの味だからだ。
だから飲めば一つは氣が拡がり、
もう一つは仙骨に力が入る。
拡がる豆(ヤルガッチャフェ)は、
女性が好み、
地に着く豆(リム)は男性が好む、と
店の人から聞く、なるほど。
確かにその方が性別に合うエネルギーだ。
女性が好み、
地に着く豆(リム)は男性が好む、と
店の人から聞く、なるほど。
確かにその方が性別に合うエネルギーだ。
そして夜はこの曲に出逢う。
いいね、氣も歌詞も。
聴いたら心が開きだす。
届くといいね、全ての人の想いが、
届けたい人へ祈り花となって、届け。
聴いたら心が開きだす。
届くといいね、全ての人の想いが、
届けたい人へ祈り花となって、届け。
今日、ふとクライアントさんに必要だな、とちらちら脳裏にあった人へ曲を送る。
やはり救いになったようだ。
今、必要だと感じたんだ、君に。
やはり救いになったようだ。
今、必要だと感じたんだ、君に。
記事のカバーの写真は、
別のクライアントさんからもらった。
地元を元氣づける為にと上がった花火の写真だそうだ。
別のクライアントさんからもらった。
地元を元氣づける為にと上がった花火の写真だそうだ。
因みに花火は浄化の力がある。
だから花火を見ると何か郷愁に駆られるのた。それを見上げる あなたに、
だから花火を見ると何か郷愁に駆られるのた。それを見上げる あなたに、
もし手放す準備が整っているならば、
それについては浄化も可能だろう。
背中から抜けていくよ。
ただし準備がちゃんとしてなきゃ無理よ。
それについては浄化も可能だろう。
背中から抜けていくよ。
ただし準備がちゃんとしてなきゃ無理よ。