”境界線に、ただ佇む者として”

前回からの記事の続きです。

意識の使い方に関して
先日、引き寄せなどで有名な方が自分が発見された?とかで意識の使い方をコンサートのような場所で発表されてました……そのやり方は瞑想の魔鏡の危険性を心得た人たちなら多分、常識のこと。だいたい瞑想って、なかなか危ないのです。やり方を間違...

 

生命体はフォトンを有していて
そのフォトンは、エネルギーなので
生命は生命活動をしていれば
細胞から誰しも輝いているもの。

 
更にそれを強くするのが感情。
感情とはエネルギーだからです。

 

意識は感情に対してのベクトルを
担当しています。
 
そう、自らのエネルギーをどう位置づけて
どう使うのか、どう意図するのか、
が意識の役割です。
 
 
エネルギーの使い手がサイキックと
定義づけるなら生命体全ては、
サイキックのポテンシャル(潜在意識)を
秘めていると言えましょう。
 
 
では使い手として発露する者、
しない者の違いは、一つ。
 
エネルギーを意識上に
正確に感知し理解し意図出来るか、否か。
 
そう、わたし達は単に、
それを意識して察知することが出来る。
そして、それを意図して対応したり、
意図して変容させることが出来るのです。
 
それだけのことです。

 

意識出来るか、出来ないか。
選ばれた訳でも、特別な訳でもない。
ましてや凄い訳でも無い。
あえて言うならば、よりプリミティブな人間ってことです。太古回帰ってことでしょうか。

 
そして皆さん誰しも、
意識せずに人はエネルギー体だけで、
結構活動しているものです。
ある人は魂と呼ぶかもしれないし、
生き霊とする人もいるかもしれないれど。
なんにしても同じこと。
 
 
具体的に言いましょうか。
 
クライアントさんを癒して欲しくない
誰か、(共依存関係にあたる方はパートナーを失うことになるので結構多いものです)が、
わたしに攻撃してきたりするケースや、
すれ違った人がエネルギーを盗みにくることもある。
 
仲間が欲しい、と言葉では言いつつ、
エネルギーでは拒否をしている人もいる。
まあ、こうしたケースは同じような人とつるむことになります。
同じ場に物理的に存在しますが、
氣持ちを通いあわせる事が出来無いので
孤独なままです。
ですから、その孤独感を埋めようと
頻繁に会ったり仲間意識を必要以上に強要したり、SNSに呑まれてしまうことになる。
 
今、大型連休で氣が悪いのも、
楽しいレジャー→写真もついでに撮った→SNSアップ
ではなく、
SNSに載せたい画材作製→レジャー計画→SNSアップ
も一要因にあると思います。
 
 
話がズレました。
 
そう、誰しも意識下ではエネルギーを感知しているし、対応し、行動している。
ただ、それを認知してるかしてないか。
だから誠意ある人は無意識にその拒否を感じて、その人に近寄りません。
また近寄っても数回で氣づいてそっと去ります。
 
 
こんなこともあります。

 

クライアントさんの一部が、
セッションの合間に疲れを癒しに
わたしのところに来る。もちろん無意識で。そんな時、氣が済むまで自由にどうぞ、と、わたしは黙って受け入れるだけです。

 
ですから、誰しも
愛しの恋人へ、奥様、旦那様、
子ども、親元、友達へ、
人が本氣で想いを馳せた時、
エネルギー体で側に行っているのだと思います。無意識なだけで。
 
それにエネルギー体で来る方は、
知り合いかどうかや、
親しさ度合いは全く関係ありません。
道ですれ違っただけで来る人もいれば、知り合いの人もいる。
人は魂では誰でも案外自由で、
色々活動してるものです。
 
面白い人だと顕在意識下では
わたしを否定してるのに
エネルギー体になると、
わたしに助けを求めてくる人もいる。
 
 
まあ、そんな方は
完全な自己との乖離状態、ですが。
 
 
エネルギーの世界は
自分を通すしか、安全な道はありません。
だいたい自分も見れない人が、他の存在やらとアクセスできるわけがない。
 
だから、あなたの目の前に
意識やエネルギーの話をする人が現れたとして
その人を、話を、信用するかしないか
妄想か、妄想ではないか、は
その人が自己と繋がっているかいないか、が重要です。

 

ハイヤーセルフや集合意識、潜在意識等々のメッセージ、名称はなんでもよろしい。すべて同じです。
自分に繋がれない人は、正しい道にはいかれません。
その世界での迷い子です。
または何らかの存在に利用されている、か。

 
ここは本当に重要なポイントです。
 
 
足場のないエネルギーの世界では、
迷った先の幻想 程、
見せかけの輝きや壮大さが
あり、にぎにぎしくキラキラ、
ギラギラしているから。

 

そしてその幻想ほどベタベタと甘く、
自分を高揚させてくれ
甘美な”自分は特別だ”、という
誇大妄想な夢に浸らせてくれるものだから。

 
しかし それは単なる幻覚にすぎません。
瞑想などをして、光を求めたり(=神秘体験)夢をみたらいけないんですよ。
 
 
本来の自分も、道も、ただ静かに在るもの。
だから正しい道は大変静寂に満ちていて、
感性を磨かないと見落としてしまう。
 
 
瞑想時も、サイキッカーも、
常に古典物理の世界と量子揺らぎの世界
の境界線に立っている、と言うのが正しい。
つまり、とても不安定な世界です。
目で見える訳でも、確定されている訳でもない世界です。不確定要素な場。

 

あくまで感覚(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚など)を通じてわかる、というか
在る と知る、というもの。
とにかく足場の無い世界だから。

そして、その状態は自分自身も不確定要素な状態だから油断すると様々なものが入り込みやすい、狙われやすい状態、なので
しっかりした意図と強い意志が必要です。

 
だから誘惑や欲望に負ける人も多い。
 
例えば、物や人や会社の氣が判る、
なら株を買うのに有利かもしれない。
さっき言った妄想(自分はすごい)に取り憑かれる人もいる。

 

宮部みゆきさんの『龍は眠る』、
という小説には、こちら側の葛藤を描いた作品だと思います。

感覚が増えたら何が起こるか。
増えた分、喜びも迷いも悩みも誘惑も増える。知らない方が幸せなことはありますから。

それだけ、です。

でも、そうした誘惑に負けたら終わりです。
 
強調しますが、エネルギーの世界は
特別な話でもその使い手が凄い訳でも、ない。使い手はただ、古典力学と量子力学の境界線に佇む者、です。
 
そう、意識の拡げ方や、
レイキの様な0ポイントからの光を手から出すぐらい、すぐに誰でも可能なことです。
伝授など必要なんかない。
 
あなたの心の傷を癒し、
エネルギーを取り戻したら可能なこと。
出来るんですよ、すぐに。
お望みなら使い方をお教えしましょうか。
そういった調整、訓練指導は
わたしの得意分野です。
 
でもね、そんな境界線に行くことを望むよりも
しあわせな生き方を選ぶのなら
バランスよく地球に根付いた方がいい。
 
 
自己回帰セッションを受けた方は
自分と繋がるから感が鋭くなります。
その後もその方が、
恐れや慢心で自分自身からズレない限り
自分には相応しくない人や物や場を
自分の得意な感性で察することが出来る。
それで充分じゃないですか。
 
本来の自分で在り、
かつ、歌を上手に歌ったり
料理をおいしく作れたり、
運転が上手かったり、掃除の技術や、
上手いプレゼンの仕方、心からの笑顔、

 

誰が使っても使いやすい書類の作成
・整理、着心地の良い服の仕立て、
見ると元氣になる色使いのセンス、
上手な話し方、相槌の仕方、
そんな古典物理に根差した腕を磨くことの方が、

よっぽど自分にも周りにも役に立ち喜ばれ、愛される。愛することが出来る。

そうしたら、レイキ的な何かを出す
必要性があなたに、家族に、周りに、
ありますか?
 
いらないでしょう?
 
それに、その状態なら無意識だけど
あなたはその時既に全身から
良い光の波動を放っているのだから。
 
 
つまり、
より良く真摯に自分を成長させ、生きる。
そうしていたら、エネルギー体も勝手に協力してくれています。
スマホの内部原理を理解し、自ら作製出来なくてもスマホを使いこなしているように。
 
不必要に、興味本位に、
スマホの原理を追い求め、
頭だけに知識を詰め込み、
中途半端に理解出来たつもりになって、
そして
自分でスマホを分解してみて、
再度組み立てられない状態になって
結局壊してしまう、そんな金の卵を産むニワトリを殺してしまうようなこと。
そんなことはしなくていい。
 
そう言うこと、です。
 
”境界線に、ただ佇む者として”
タイトルとURLをコピーしました