大人が本当に 子どものように あそぶ 時とはどういう時か。
市川猿之助が言ってました。
一回だけ、役になり切った時がある
自我から抜け出し、上手くやろう、とかそう言ったものや見栄など一切なく、ただ、ただ、わたしは役そのもの、だった。
その時は お客様も何もかも消えて
ただ、そこに役である自分が
子どもが、ただ あそぶ様にいる
わたしが居たそれは震えるような劇的な体験ではなく
まるで海の底にいるかのような静かなものだった……
あの時の風景を、また見たくて
また味わいたくて役者を続けている、と。
つまり大人が 子どもの様にあそぶ とは
海外行ってはしゃいだ写真をSNSに
アップすることでも
パーティの様な派手な場所で
はっちゃけることでも
仲間ごっこすることでも
無理した笑顔の自撮りしたり
たのしー!とアピールすることでもなく
と言うより そもそも他人にアピール出来ることじゃない。
なにか、その人が生涯を掛けて
試行錯誤を繰り返した先に出逢う
自我を超えた “真理”を体感した状態
つまり無我の境地、なのだと思います。
子どもがあそぶ、とは
無心で物事に取り組む様、なのだから。
無心=自我を超えた、状態とは
損得とか、楽しい楽しくないすらも、
ない、んですよ。
またそうした時に最大限に訪れる、
ゼロポイントエネルギーなどは、
=自分を超えた次元のモノとのコンタクトは 向こうから来るもの、です。
だからそれを追い求める目的を持ったり
欲しいと懇願しては、間=魔に、ハマるからしてはいけないことです。
ゼロポイントを通すのを確認する方法で、初歩的なスプーン曲げを例にとりましょう。心と身体を繋げてゼロポイントからのエネルギーを通せば誰でも簡単に出来ますし、また、わたしは出来ない人に同調してスプーン曲げするぐらいの回路を開くことなら人によりますが30分ぐらいで出来るでしょう。
でも重要なのはそこではなく、
自己回帰セッションのクライアントさんは心と身体を統合(=自我が目覚める)しますので、スプーン曲げぐらい勝手に出来る状態になって居ます。
違い分かりますか?
つまりですね、自分と繋がれば、そんなこと自然と出来る状態になる。
(=向こうから訪れている)自分本来に戻ることは考えず、ただ、スプーン曲げが出来るようになりたいと思う(=現象を求める)
あ、ただし、スプーンを曲げられたこと=自分と繋がっている、ということではないですよ。スプーン曲げレベルは浅い潜在意識の領域のアクセスなのでまだまだ自分とは程遠いです。残念ながら自分自身は潜在意識の一番奥に居るので。
ですから、スプーン曲げても何も役に立たないです。ゴミになるだけ…オブジェにしようかと
色々してみましたがグッドなものは作れませんでした(過去のわたしの反省より)
話をまたまた戻しまして。
あそぶ、とは
人はその自分を超えた無我の境地である真理との一体感を
また体感したくて、
また味わいがたくて、
また求道する道に戻るのでしょう。
その人の愛する世界へと。
無我夢中、って言うでしょ。無我、なんですよ。