哀しい歌ですね。
こんな風に、自分に嘘ついて。
歌を歌っている側の女性が
本当に傷つけているのは自分自身。
大抵、悩んでる人が
傷つけて、追い込んで、罰してるのは
苦しめているのは、その人自身本人。
誰も罰してないのに自責の念に駆られて
一人、自分を罰している。
自分自身を馬鹿にして、
自分自身を嘲笑して、
こんな駄目な自分、
汚い自分はそうされて当然だ、と
暗闇にどんどんはまって行ってしまう。
知らない”わたし”なんて、いない。
見えない”わたし”なんて、いないから。
居なくていい あなたなんか、いない。
わたしはあなたに居て欲しいよ。
せっかく産まれてきてくれたんだから
あなたが喜ぶ顔を わたしは見たいよ。
あなたが、あなたの存在を消してるだけ。
嫌っているのは、あの子じゃなくて、
あなた自身。
許せないのも、
もっともっと知りたいのも、
あなた自身のこと。
何度も何度も殺そうと押し込めているのは、あなた自身。
そんなところに行かないで。
そんなことしないで。
この歌のように嘘ついているのを、
わたしは知ってる。
本当は誰もが自分を愛したいし、
本当は誰もが自分を汚いなんて
思いたくない。
醜い人も、汚い人も、
本当は居ないんだよ。
いるとしたら自分を見失ってしまい、
迷ってるだけ。
迷いは確かに、怖く、とても深い。
それも、知ってるよ。
だからカウンセラーや心理セラピストは
経験の浅い若い頃は難しい。
だが、”迷い”は状態で、
その人の人格でも性格でも、ない。
だから治せない、とか、
変われない、と
悩むものではない。
では、どうしたら良いのか、
道を思い出せばいい。
自分を取り戻せばいい。
誰でも それは出来ること。
あなたが決断したら それは可能なこと。
確かに心理セラピーをしたら
蓋をしてきた辛い思い出や、
知りたくなかったことが
出てくるかもしれない。
だとしても、
嘘のまま迷ってる人生の方と
そうだったのだ、と事実を
肯定して生きていく方と
どちらを あなたは選ぶのだろう。
わたしは自分に誠実に生きたい、
そう思う。
例えば、父も元夫も
わたしを愛しても守ってもくれなかった、
という事実はあるけれど、
それは
=親すら愛してくれない
=価値がない わたし
という間違った思い込みと決別する為、
打ち勝つ為に、
過去に閉じ込めた思いを知るのだから。
そこからずっと目を逸らしていたら、
”価値がないわたし”、の意識を
捨てられない。
でも、過去と対峙したら
自分の親のパーソナリティの結果であり
普遍的な価値観ではない、と
わかるようになる。
前に進むきっかけになる。
わたしを愛する人もいれば、
愛さない人もいるのだ、ということ。
ただそれだけなのだ、と。
それは わたしの価値を決める訳ではない。そして、それは誰も価値をも決めるものではない、と。
だから、わたしなんか見えないんでしょ
わたしなんか知らないんでしょ、
なんて言わないで。
あなたが産まれてきた訳は ある。
かなり大きな枠で言えば、
男性なら誰かを護り愛されるために。
女性なら誰かに護られ誰かを愛するために。
あなたが自分を取り戻した時、
あなたから愛されるために待ってる人が、きっといる。
あなたを愛するために待ってる人が、きっといる。
後は、あなたが目覚めれば良いだけだ。
