あらたのセッションに関してセラピスト・カウンセラーの選び方

心屋流カウンセリングへの疑問点 その2 ●悩みへの対処について

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その1はこちら

心屋流カウンセリングへの疑問点 その1 ● および虐待に関して
遅らばせながら、性格リフォームカウンセラーと名乗る心屋という方が、つい子どもに暴力を振るってしまう、という親御さんの悩みに対し、虐待されるために生まれてきたから良いのだ、とブログに書かれたと聞いた。虐待されるために産まれてきたから(暴力行為...

心屋さんは、全てはコントだ、
笑い飛ばせ、と言っているようです。
これこそまさに、心理学的に言う防衛機能※の一つになります。偽の感情で誤魔化すやり方です。笑いは強く感情に作用するため、その力を使って、見たくない感情を覆い隠すのです。

※防衛機能とは
葛藤やフラストレーション(不満)がある時に、
心の安定を保つため無意識的に本当の氣持ちを隠す働きをいう

 

古来より、ローマ時代から
喜劇と悲劇が世界中にあるのは、
笑いと涙には強いカタルシスの作用があるのでそれを利用する為です。
一時期日本でも、みんなで集まって感動映画を観て泣く会などが流行ったりしたこともありました。

しかし、笑いも涙も、強い影響があるが故に注意をしなくてはいけない、扱い注意なものなのです。ローマでも喜劇を見せること、で、民衆の不満が権力者に向かないようにしたように……。

心から出た笑いや涙、という本物の笑いや涙は良いものです。
しかし大人が良くする誤魔化す為の笑いや涙もある。わかりやすい物は自虐的な笑い、でしょう。

人間は前者後者に分けられる。人種が違うだけ、とか。
残念ながら人はたかが2種類に分けられるような単純なものではありませんし、笑い飛ばした筈の悩み(=感情)は一回発生したならば、正面から向き合っていくことしか解決、解消は出来ません。

まとめると、
前者だから、〇〇は仕方ないよね、
後者だから、〇〇出来ないんだよね、
と自らの可能性を狭い定義に閉じ込めて否定し、問題は放置する、と言うことになります。

果たしてこれが、自由に自分らしく生きると言う生き方でしょうか。

いやいや効果あり、と言う人がいるかもしれません。それは笑って放って置く、笑ってなかったこと(笑いで他に氣をひく)ことで一時的に楽になる感じがするのは、ほって置く、と言う距離感、または視界から一時的に見えなくなるからかと思います。
また、前者後者に当てはめて、なんか納得してしまうのは、先程も言いましたが、わたしどうせ前進(後者)だから、仕方ない、と問題に立ち向かわないで良い理由に出来るからです。

良く考えてください。
悩みは解決していますか?
前者か後者か自分はどちらか、と判定し、悩みや問題は以前そのまま先送りになっただけです。
はっきり言いますと逃げただけです。心屋ファミリー以外では前者後者などは何の意味もありませんし、悩みは振り返れば そこにあります。

 

ではなぜ、彼はそんなことを言うのか。

わたしが感じるのは、
今現在、心屋さんご自身が、自分の悩みや自分の弱さから逃げたいのだと思います。だから逃げ続けるやり方を伝授されているのではないでしょうか。自分自身を誤魔化す為に。
そして一人では寂しいから周りを巻き込んでいるように思える。似たような人を集めて共にファミリーとして囲い込めば押し寄せる不安感が薄くなる氣がする…。
そう、赤信号みんなで渡れば怖くない、です。そんな集団は仲間ではなく、つるむ一派、です。

また自分のは心理学ではない、心理学から始まったが実践を通した生き方だ、とおっしゃいますが、孫悟空が世界の果てへ行った、とお釈迦様の手のひらで威張っていたように集団心理を利用した心理学の中のほんの小さな小さな世界の様に見えます。

最初はきっとご本人も人を救いたい、いや、自分自身が救われたい、そう思われこの世界に入られたのでしょう。
カウンセラーと名乗られていたのだから。
しかしカウンセラーや心理セラピストはいずれ自分の傷と向かい合わねばならない時が来ます。療法が上手な方なら尚更、自らの自己セラピーにより対面せざる得ないでしょう。

しかし、そこで彼は自分から逃げた。
それくらい自分との対峙は勇氣が必要です。

なぜこんなことを言うかと言うと、わたしは二つのカウンセラー養成講座、コーチング養成講座、そしてそのアシスタントを含む二年間の間に、そうしてカウンセリングや心理セラピーやコーチングを受ける前より、悪化する人をいっぱい見てきたから、です。またセミナージプシーを重ねたら重ねるだけ酷くなる。自己からの逃げ、と、潜在意識の扱いを間違ったのが主な要因です。

本人が向かい合う覚悟が出来た時に、潜在意識を理解し、本当に慎重に扱いきちんと確実なクロージングが見極められるセラピストが寄り添っていかないと本当に危ないものなのです。そうでないと潜在意識の中の変な場所に行くか、余計なモノを溜め込むか。
潜在意識は最初のコンタクトで蓋を開けるのも大変ですが、同じぐらい蓋をきちんと閉じるのも大変なのです。しかしそれをほとんどの講座では教えません。それどころか油断すると講師本人も悪化していくパターンもありました。

わたしは他者の身体と感応する力が強いので、クライアントさんの身体の中がわかるのです。身体のどこで泣いているか、詰まっている場所はどこか。軸が通ったか通らないかチャクラが開いたか。
心理療法をしていく過程で、それらは連動しており、また道筋にすると安全である、と言うことがわかっていきました。またそれがわたしの潜在能力だったので。
故にその人を どう本来の姿へと戻していくか、が療法の本筋である、とセッションを重ねるごとに理解し学んできました。

ですから、わたしはセッションですることは心理セラピーではクライアントさんの傷付きバラバラになったココロを集めて心の統合すること、自己回帰では心の統合と身体の統合を目指します。また、それに向かうクライアントさんを勇氣づけること、が仕事です。そして一人の人間がそれぞれのパーツが統合して目的にホールボディとして一丸となり向かえるようにしていけば、本来のその人が持つ潜在能力を使うことが出来るからです。
またそれは、あなたが潜在意識の奥にある、本来の自分とより安全に繋がれるようにすると言うことでもあります。

では そうした能力がある人しかカウンセラーになれないか、と言うとそうではなく、上手くいったセラピーは
例えばカール ロジャースの公開記録を読んでも、セラピストはクライアントに感応し共鳴しているのがわかります。

つまりは潜在意識を利用した療法が上手く行った場合、必ず施術者は潜在意識の奥にあるユング的に言えば集合的無意識を通り自己と、そしてクライアントさんと繋がっている状態なのです。ですから施術者が自分自身と向き合い自己統合をしていなければ集合意識へ繋がることは出来ません。
自覚があるかないかは別にして。

またこれが本当の心の扉が開いた状態です。施術者がセッション時に心開かなければ、クライアントさんの扉は開きません。

話ががっつりズレてしまいました。
戻しましょう。

だから彼が抱えた弱さや孤独感は、
歌でも、ステージからの高揚感からでも、
周りに人が沢山いることでも、
豪遊することでも、
解消されることはないでしょう。
だって振り返れば、そこに葛藤はあるから。

 

葛藤の奥(=本当の氣持ち)を隠す限り闇夜のような孤独から逃れることは出来ません。
だって自分が自分の氣持ち(=心)がわからないのにどうして自己一致(=自分を信頼)出来るでしょうか。自分を信頼できない人がどうして他者の心に寄り添うカウンセリングや心理セラピーが出来るのでしょうか。

孤独感から逃げたい………!
だから誇示したい。
だから派手になる。
もっともっと舞い上がって逃げようとする。

そして彼の周りの方々は、
似たように逃げたい何かがあるが故に、彼に(また似たような人のセミナーやセッションに)惹きつけられてしまうのでしょう。それはセミナー依存、セミナージプシー、◯◯ちゃん大好き💕という依存の始まりです。今回心屋さんを取り上げましたが、似たようなことは残念ながら他でもよくみうけます。

自らの葛藤から、

逃げるか、
巻き込まれたままか(ぐるぐる思考)、
向き合い歩み寄るのか、

それはご本人の選択です。

自分はどうしたいのか、
自分で選択していきましょう。
AIが出来ないことの一つ、
それが自らの意思での選択、です。
あなたは人間です。
自ら問いかけましょう。

わたしは、どうするの?と。

因みにそれをしているつもりで表面的で、
本当は逃げまくっているのが見本が心屋仁之助さんです。
また心屋さんのファンだった方、ファンの方、も同じです。
その人達に共通して見受けられるのは間違えた自己開示で
自分を傷つけたり、卑下している※ことです。
(※後者だもん、できないんだもん、ポンコツだもん的なもの)

本当の自分と繋がった人は自分を虐めたり辱めることはしません。しかしこうした似非本当の自分論者は、こうして自分の本当に嫌な部分ではなく、表面的にまー、これはいいか、というものをだして、「だめなんだから、逃げてる自分だけどさ、いじめないでね」、というアピールを先回りして誰も訪ねてもいないのにしているだけです。それが勇氣のあることでしょうか。

 

 

もし自分を卑下し始めたとしたら、それは自分からズレている証拠です。戻しましょう、還りましょう、自分へ。

そしてちゃんと逃げずに問題と向き合っていくこと、これが本当の勇氣の使い方であり本当のあなた、との出逢いへの始まりです。

【重要】本来の ”わたし に還る” とは
本来のわたしに還る、とは平たく言ってしまうと“凡夫の悟りである”とも言えるでしょう。凡夫の悟りとは、わたしとは、平凡な一人でありそして誰しもが、そうである故に、わたしもあなたも”生きとし生けるすべてはみな平等であるということです。...



その3へ続く

心屋流カウンセリングの疑問その3●あなたの やりたいこと、って何だ?
わたしの個人的な提案ですが、心屋さんにご祝儀を渡すなら、ご本人自ら何度も何度もやりたいことをしろ、と言ってくれてるので、そのお金でもって、あなたが主体的に、そしてあなたの為になる、今、したい、食べたい、飲みたい、見たい、欲しい、何かを購入...
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