生き辛さから脱出する為の提案

”論破”は何も生まない

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勝者と敗者は決まりますが、それで何が生まれるのでしょう?
新しいアイディアですか?素晴らしい解決策ですか?
そもそも何か問題があったから議論がはじまったのでしょう?

でも論破したところでその問題は解決したのでしょうか。
何か問題によって心が苦しくなった人の痛みが和らいだのでしょうか。

新しく生まれる為には、その前に受け入れることです。
受け入れる、というのはその意見に染まることでも
服従するのでもありません。

あなた、または、その意見、その立場、は
そう考えていた、そういうことをしていた、のだ、
と事実を認めること、です。

互いに、わたしはこうでした、
あなたはこうでした、と認め合った時、
何かが産まれ、物事は前に進みだします。

論破した後には、破壊されたものとそれに乗っかる勝者の優越感しか残りません。
そしてその優越感はたいした価値がないので、その勝利の美酒に酔う時間はほんの僅か。
だから論者は新たな獲物をすぐに探さないといけなくなります。
本物の幸福感は心も体も感動して動かされるので一生心身に残ります。
それは一生ものだからです。

論破のような安酒やまたは命の危険を犯して飲む戦後のメチルアルコールのような
(同じようなものですね、論破したって勝っても論者の心は死んでいくので)
もので酔ってはいけないです。

いいえ、わたしは論破なんてしてません。
そんな議論もしていないし…でも待ってください。
意固地に自分の意見を手離さずにいませんか。
相手に向かって言っていなくても、きっとあの人はこう、この人はこう、わたしはこう、
という決めつけはしていませんか。
それも小さな論破と言えます。
なぜなら相手を攻撃する、ということは相手を受け入れない、ということが基本姿勢だから。

決めつけないで。
全ては流転しているのだから。

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