価値を見いだそうとして足掻いている証拠。
これだけしたら、
ここまでしたら、
わたし、居てもいいですか
わたし、存在してもいいですか
そう赦しを、他者に自分に求めてる。
これをしたから赦してください、って。
今、居てはいけない、って言われてなくても。
今、あんたはダメだ、そう直接言われてなくても。
完璧じゃなきゃ、
尽くさなきゃ、赦してもらえない。
だって、
わたしは汚いから
わたしはダメだから
わたし居たらいけない気がする
わたしが居たら迷惑がかかる
わたしが側に居たら大切な人が不幸になる
だから倒れるまでやり続ける。
内から駆り立てられる何かに追われてながら。
逃れられない。
だってその声は、わたしから出てくるから。忘れられない、誰かが見張ってる感じがするから。
やってるのに、やったのに、
どこまで行っても満足感はない。
憔悴感だけ、虚しさだけ。
だから止まったらダメ。
手を止めないで!
休んだらなんて声に耳を傾けないで!
走り続けなきゃ。
だってもし立ち止まってしまったら
感じるの、聞こえてくるもの。
わたし生きていていいのかな
居る意味あるのかな
それ、聞きたくないの。
わたし死にたい訳じゃない。
でもわたし、消えたい。
その方がピンとくる。
誰にも知られずにそっと…消えたい。
走らなきゃ、
走らなきゃ、その声から逃げるために。
完璧主義の人はこんな内面を抱えているのではないでしょうか。
これは辛いよね、本当に辛い。
生きとし生けるもの、存在する全ての物、
それは存在あってのもの。
その根底を認められないなんて、
それは死ぬより辛い。
わたし達心理セラピストが導くのは
あなたが逃げようと足掻いている声の先。
その声が産まれた理由。
どんな物事にも、どんな存在にも存在理由、意味がある。
あなたを追いかけてくるその声は確かに辛い。
が、その声にも、あなたにも、存在する理由を聴いてあげる。
存在を認めること、それがセッションですること。
確かにあなたは、
あなたを否定する声と向き合うから、
やりたくない、いやだ、そう感じるかもしれない。
しかし、向き合うとは、
その声すら愛すること、なんだよ。
喧嘩するでも、否定する、でもない。
愛の始まりなんだよ。
ハエがいたら害虫と排除する。
しかしハエがいなきゃ草原はフンだらけになってしまう。
ウジ虫がフンを分解し微生物が更に分解して草は初めて栄養に出来る。
害虫と排除するのは分断の道、ハエの自然界での役割を見つめていくのが循環、愛の道。
最初は怖いかもしれないけれど、
セッションは愛の道。
あなたがあなたの中のどんなことも受け入れいくことから始まる循環の道。
そう感じていただきたい。
