生き辛さから脱出する為の提案心理療法ってどういうもの?

本当の安全とはなんでしょう?

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わたしの前、またはメールなどで、

今まで感じたことのない、ざわめき

ざわざわした感じ、

落ち着きのなさ、的な何か、

を感じるクライアントさんがいます。

ざわざわする、

何か今迄とは違う、未知なる何か、

と言われたら、

それは安心出来ないことのように感じるかもしれません。

しかしそれこそ、あなたの本心からの囁き、によるものです。

わたしが今までの体験からですが、

クライアントさんの本心に近ければ近いほど一番恐れているのはご本人だから。


なぜか。

自分のありのままを認める時に起こること、それは、

自分の幼児性からの肥大化した自分や、

理想像、または自分が逃げてきた課題と向き合うことになるからです。

トラウマなどにより、ずっと心を閉ざしてござるえなかった人は閉じこもっていたので経験が足りません。

経験がないため、自信がありません。

だから自信がないのを隠す為に肥大化した自己や理想像に固執しがちになるような傾向があります。


しかしプロ野球やサッカーの試合をテレビで観て評論家になることと、実際にプレーすることは違います。

本当に野球やらサッカーをするなら自ら練習し、試合に出て練習と体験を積み重ねるしかないのです。

そしてどんなに素晴らしいものも、してみるまで誰しも怖い。

それはあなたが弱いからではなく未経験だから、知らないから、だからね。

だからざわざわする、怖い、から

その道は安全じゃない、訳ではなく、やってないから怖い、と言う場合もあるのです。この前もクライアントさんが2年ぐらいかな、してなくて、いい加減やんなさい!って重い腰をあげたら、

あら、まあ、なんで早くやらなかったんだろう。スッキリするし自分にとり一番のリラックスと日頃のメンテナンスになることでした。

クライアントさんのやれなかったこと、は、日本人なら体育で必ずやることで他の人からみたらハードルは高くないことです。でもやるまでそれぐらいかかった…。

それぐらい怖いのよ。

その人、にとっては。

それは分かる。そう言うものなの。

それぐらい、その人には色々な葛藤があるの、変化を生む前は。

安全はその先にある。

その為にわたし達セラピストは居るのだし。怖がる人に時に寄り添い勇気を与え、時に激励叱咤し気力を喚起し、そしてその人がやるのを見守り、「よくやってみたね!」とチャレンジしたことを共に喜ぶ。

最後に重要なことを言っておきます。


だからあなたは悪い、と言っているのではありません。多分、この文章を読んで責められた気分になりがちな方はそうした傾向にあるのかもしれません。

経験が足りないことは悪いことでもなんでもなく、経験値がない、だけだからです。

ただ足りない自覚があるにもかかわらず、やらないとしたら、それは故意になりますから、それは勇気を持ってやってみて欲しいです。


またあなたは見栄を捨てた自分自身をみっともない、やら、ダメだ、と思い込んでいるのかも知れません。


しかしそれは違います。

それこそ、一番ダメです。

そんなこと、思ってはいけません。


慣れてないだけで、初めてなだけで、

あなたがありのままで、

あなた自身を受け入れ、

懸命に生きていたなら、

こんなに素晴らしく美しい姿はないのです。それこそ、唯一無二なあなた、であり、そして人間同士の見栄の競争から抜け出した姿なのだから。

あなた自身になって初めて、

人として美しい。

(顔やスタイルを超えて)


それと自分の欠点とは、長所と同じエネルギーです。それが、あなたの個性であり才能になる宝物です。

使い方で長所=自分軸になり、あなたの生きる力にる。でもそれを嫌い、自分をも放棄したら悪く光る。

つまりは欠点になるんです。


欠点や弱さを無視することは

あなたの個性(長所や才能の種)を無視することです。

つまりはあなた、は、

本来のあなたから逃げている、となります。それは本当の安心でしょうか。


なぜなら本当の安心とは、

あなたそのままを認めてくれる存在が居ることだから、です。

それは、まず誰かがあなたを、そして最後はあなたがあなたを安心させてあげなくてはいけません。

それが、自己受容って状態です。

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