なぜ 悲しみ はあるのか、そして感じるのか その2

うーむ、先程の記事と同じになりますが。

なぜ 悲しみ はあるのか、そして付き合い方 その1
悲しみは、愛。悲しみに寄り添うと分かるもの。それは あなたの中の愛の大きさ。だって悲しみの深さは、あなたの愛の深さと同じだから。あなたが悲しいのは、それだけ、あなたの中の想いが泣いている。それは あなたの大切な誰かを、何かを、それだけ愛して...
悲しい時は悲しんで良いのです。
というか、むしろ悲しまないと。
例えば身内が病や旅立つことで、悲しい。
それは当たり前なんだから。

 

もし悲しみが果てない様に深いなら、
それはあなたが、
それだけその人を愛している証拠でしょう?愛してる、と泣いてくださいよ。
涙が出るなら出してあげてよ。
あなたが独りになりたいなら、なってあげましょう。その人が居た場所、その人の服を抱き締めて眠りましょう。匂いは一番その人を思い出すから。そして去りゆくものだから。あるうちに、やりきりましょう。

ただし、自分を責めないこと。
ただ、ただ、悲しむことのみ、にすべきです。

もしかして、わたしのせい?
あの時、わたしが氣づいていたら
あの時、わたしが声をかけていたら
あの時、あれがSOSだったんだ…

 

どんなに愛し合おうとも
どんなに深い絆で結ばれようとも
人生の旅路は一人。
今世における別れはあります。

スピリチュアル的に言えば、
遠い未来、離れた過去に、まためぐり逢うことでしょう。かなり長い時を経て、わたしもめぐり逢っているから、それは確かです。

そして人は無意識に自分の運命を自ら決断しているから。その人の終わりがどんな形であろうが、その形を、あなたもその人も責めないで受け入れる。

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現代人の我々は夕闇を忘れ夜を駆逐することで闇を見なことが幸せである、と思い込んでしまっているようです。しかしながら生きとし生けるものはいずれ、去る。ざっくり書くとキツイ言葉ですが事実です。これを書いているわたしも、読まれているあなたも、...
それがその人の意思を尊重すること、即ち、その人への敬愛をしめすことであり、究極の愛情だと感じます。

 

だから、なぜ、まだ、もし、
と、誰も問わず、誰も責めず、

ただ、あなたが居なくて、わたしは身が斬り裂けるが如く、悲しい。寂しい。
あなたが懐かしく、共に過ごした時間が愛おしい。何氣なく交わした頷きが、微笑みが、時に何時間も口をきかなかった喧嘩が、わたしの宝だった、と泣いていいんです。悲しみ100パーセントが、悲しみの中に感謝が混じり出し、感謝が悲しみより少し多くなるまで。
そうしたら、愛おしいその人の想い出を胸に、あなたは立ち上がれるようになるでしょう。その日まで、正しく悲しんでください。喪に服しましょう。
あなたがそんなに悲しんだら、天国に逝かれない、は、ないです。あなたは悲しむ権利がある。

恨みや未練がある人以外は、さっさとみんな逝っちゃいますから。ただ、本当に愛が向こうにもある場合は、あなたを見守る為に側に来てくれる。向こう(天国)からこちらに来るのはかなり大変なので、それをおして来てくれる。
あなたが泣いている時、側に居てくれている。
夢の時間に逢いにきてくれてるんだよ。

喪に服する期間は人それぞれですから、
決めない。
あなたの心のなすがままに。

 
なぜ 悲しみ はあるのか、そして感じるのか その2
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