うーむ、先程の記事と同じになりますが。

というか、むしろ悲しまないと。
例えば身内が病や旅立つことで、悲しい。
それは当たり前なんだから。
もし悲しみが果てない様に深いなら、
それはあなたが、
それだけその人を愛している証拠でしょう?愛してる、と泣いてくださいよ。
涙が出るなら出してあげてよ。
あなたが独りになりたいなら、なってあげましょう。その人が居た場所、その人の服を抱き締めて眠りましょう。匂いは一番その人を思い出すから。そして去りゆくものだから。あるうちに、やりきりましょう。
ただし、自分を責めないこと。
ただ、ただ、悲しむことのみ、にすべきです。
あの時、わたしが氣づいていたら
あの時、わたしが声をかけていたら
あの時、あれがSOSだったんだ…
どんなに愛し合おうとも
どんなに深い絆で結ばれようとも
人生の旅路は一人。
今世における別れはあります。
スピリチュアル的に言えば、
遠い未来、離れた過去に、まためぐり逢うことでしょう。かなり長い時を経て、わたしもめぐり逢っているから、それは確かです。
そして人は無意識に自分の運命を自ら決断しているから。その人の終わりがどんな形であろうが、その形を、あなたもその人も責めないで受け入れる。

だから、なぜ、まだ、もし、
と、誰も問わず、誰も責めず、
ただ、あなたが居なくて、わたしは身が斬り裂けるが如く、悲しい。寂しい。
あなたが懐かしく、共に過ごした時間が愛おしい。何氣なく交わした頷きが、微笑みが、時に何時間も口をきかなかった喧嘩が、わたしの宝だった、と泣いていいんです。悲しみ100パーセントが、悲しみの中に感謝が混じり出し、感謝が悲しみより少し多くなるまで。
そうしたら、愛おしいその人の想い出を胸に、あなたは立ち上がれるようになるでしょう。その日まで、正しく悲しんでください。喪に服しましょう。
あなたがそんなに悲しんだら、天国に逝かれない、は、ないです。あなたは悲しむ権利がある。
恨みや未練がある人以外は、さっさとみんな逝っちゃいますから。ただ、本当に愛が向こうにもある場合は、あなたを見守る為に側に来てくれる。向こう(天国)からこちらに来るのはかなり大変なので、それをおして来てくれる。
あなたが泣いている時、側に居てくれている。
夢の時間に逢いにきてくれてるんだよ。
喪に服する期間は人それぞれですから、
決めない。
あなたの心のなすがままに。
