感想、その後のクライアントさん心理療法ってどういうもの?体から変容を促すアプローチの提案

【追記あり】身体は頭よりも、知っている その2ーセッションの事例を通して

この記事は約6分で読めます。

  → 身体は頭よりも、知っている その1

これはわたしの事例なので守秘義務から解放されて書けますので、夢フォーカシングとしての事例を期しておきます。

幼稚園の頃から小学校を通して、中学以降は頻度は下がったけれど定期的に見てきた夢、についてのセッション事例です。 

夢の概略その1
子どもが複数いる。現実に知っている子たちではないようだが、夢の世界では知り合いだ、という感覚。一人が落ちよう、と言う。目の前には深い深い、穴。底は見えない。
落ちたくない、と思う。しかしそのゲーム、そうあのいつもの落ちようゲームが始まるのだ、と言う感覚。さあ、という掛け声とともに、ランダムにその穴に飛び込んでいく。
落下する感覚と共に恐怖で目が覚める。

夢の概略その2
周りにたくさんの大人がいる。囲まれた大人たちの注目する中で、わたしたち子どもは舞台のようなところにいる。そして目の前にいる子どもとじゃんけんをしろ、と強要されている。勝ったら生き残れるのだ、でも負けたら殺される、というルールの中で。
勝ったらいいんだ、と最初は思う。勝ってやる、で、勝つ。
しかしその後勝ってしまった、わたしが勝ったせいで他の子どもが殺される、と気づいたところで罪悪感で目が覚める。または負けてしまって殺されるのだ、と恐怖で目が覚める。

夢の事例その3
ひたすら逃げて行かなくてはいけない。捕まったら殺される。
しかし敵は本当に、強い。顔も性別も分からないあの集団から逃げなくてはいけないけれど、どんなに逃げても逃げてもアレが沸いて出てきて逃げられない。なんとか逃げられた、と思った矢先に捕まるところで恐怖で目が覚める。

以上のようなコアな部分は同じですが状況のアレンジ(ローマ風とか日本風とか、家とか海とか宗玄とか)は様々ですが繰り返し見てきました。
わたしにとっての課題はその夢のリアルさ、でした。体感を伴うものでした。切られたら痛く、首を絞められたら呼吸出来ない、落下する体感を伴う落ちていくというものでした。

夢を扱うというと夢分析のユングが頭に浮かばれると思いますが、フォーカシングではその夢の分析は行うようで行いません。わたし、にとってその夢は何を象徴しているのか、夢でのフェルトセンス(感じられる、”なにか”)について質問されて自ら気づいていく、という形で行われます。

夢占いのような、死は生まれ変わる象徴、といういうようなこれは○○に当てはまるからこうですね、とセラピストが分析し解釈していくというものではありません。

以下、セッションの気づきから得られたこと
それは自分の2歳ごろの心臓の手術と入院体験でした。現在51歳のわたしは2歳だった頃、48年前、近所の小児科の医師は母がパニックになる性格と見抜いていたのか生まれつきのわたしの心臓欠陥について深くは語らなかったようです。
しかしもしわたしが病院に行け、と言ったことがあったなら、どんなことがあっても入院させなさい、連れて帰って来てはいけない、そう言っていたそうです。
そしてタイミング悪く、年末年始のタイミングでわたしは倒れ母はその足で大学病院に駆け込みました。予約もなく年末年始、帰れと言われましたが人がいなくなり母を追い払うために電気も消されたロビーでそれから6時間、暖房もない寒いロビーで診てくれないと帰らないと粘ってくれたおかげで、わたしは根負けした医師に引き取られ診察されました。診察後、急に看護師や医師の顔色が緊迫したものに変わり無理やり大人の病棟にでもなんでもいいからなんとかわたしをベットいれようとして指示したいる姿がずっと母をあしらおうとしていた顔と百八十度変化したのが印象的だったと後に聞いたことがあります。

そこから2年近くの入院生活が始まります。覚えていること、同じ病室のベットが特に夜中に空になること、がありました。
そのベットから感じられる虚無感は忘れられません。今振り返るに夜中に急変して亡くなっていったベットなんでしょう。また当時のわたしにとって手術は自分で病を治すために挑むものではなく、いきなりされたもの、でしかありませんでした。
その二つの出来事は夢で繰り返し見た、理由もなくただ理不尽にデスゲームに参加させられている、逃げられないゲームにということに繋がっているんだなあ、と。
夢で一緒にいた子どもたちは、入院生活を共にした小児科の病棟の子ども達なんだなあ、と。あの頃の小児病棟は本当に重症が多くてあまり生きて退院する人がいなかったようです。今は子どもの恐怖に寄り添うようなケアがあり医学が発達したので治癒が多いことは本当に喜ばしいことです。

セッションでわたしが実際にその夢のフェルトセンスの声を聴いたのは
「怖かった」という一言でした。セッション前のわたしはちょっと特殊な治療を部屋で行った際の痛みの記憶が大きかったため、「痛い」が一番大きい情動だと思っていたのです。でも無意識の中のわたしにとって分かって欲しい一番の感情は「怖い」>痛い だったのを意識上は痛い>怖い、だと思っていいたために情動の昇華に至ることが出来ていなかった。

それは いきなり理不尽に死ぬほどの恐怖や痛みを味わうこと、この怖さをわかってくれ、ということだったのに、成長して昔手術をしたのか、背中から大きく残る傷を見てこんなに身体を切ったのか、そりゃ痛かろう、と頭で「痛い」し、怖かったろうなあ、と理解していたのです
でも身体には本当の気持ちがあってそれを”分かって”いなかった。

そう、今までのわたしは頭では手術は怖い以上に痛い、ということに重きを置いていたことに気づいたのです。しかし本当のわたしは怖い、に重きを置いていた。痛さ、手術や大勢の大人に囲まれていたこと、毎日笑顔でされる大量の注射、痛さへの恐怖、周りが亡くなっていく恐怖、死への恐怖。痛い以上にそちらを分かってほしかった。
だから身体に残った恐怖が必死に夢を通して訴えていたのです。

そんなもの、残っていてもいいじゃない。たまに悪夢を見るだけでしょう?
でもそんな緊張が身体に多ければ多い程、それは慢性疲労や必要以上に何かしらリラックス出来ないあなたを作り出してしまうことになる場合があります。なぜなら昇華されない体験は意識されないだけでずっとあなたの身体にあるからです、わたしで言い換えればまだある意味本当の退院を迎えず一部はずっと入院していたような状態であった、と。それは大きな負担になることは間違いないです。
トラウマとはそうした側面がある、そしてまた他方、様々な体験を通して自分がどう感じていたのか、を正確に知ること、それは自分自身を知っていく、ということにもなるので大きな意味で自己成長へと繋がっていくとわたしは感じています。

あなたがあなたの理解を深められるように導く質問を投げかけるのが心理療法です。
これは夢から入っていくやり方ですが、正直、どんなアプローチ、手法を使ったとしても、本当にセッションに至ることが出来た場合、その時出てくる声、は同じものです。
だから何を選んでも同じ道に行きますからあまり手法などはどれにしようかな、とか考えなくて大丈夫です。それ以上に必要なのは あなたがあなたに逢う覚悟と勇気の方が必要だな、とわたしは思います。

あなたが今晩見る夢が好い夢でありますように。

追記
あれから似たような夢を、みました。
いつも絶体絶命で終わる物語がそうはなりませんでした。
楽しく終わったわけではないけれど、逃げることが、別の道や選択肢のある物語に変わりました。
激しい動悸や悲鳴を伴ってではない穏やかな目覚めでした。
それは50年近くその夢と共に歩んできたわたしにとっては奇跡ともいえるものなのです。

タイトルとURLをコピーしました