「かぐや姫の物語」にみる親子関係の難しさ

母や父、兄弟とのこと
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遅れましたが高畠監督が他界されました。
心よりお悔やみ申し上げます。

彼の作品は観ると心がかなり動くので
覚悟して観ないといけなくて
躊躇してしまうのですが、先日ようやく2度目の かぐや姫の物語を観ました。

この作品は映画館で観、悲し過ぎてやり切れずもう観るのはツライ、と思っていたので遠ざかっていたのですが。

原作のかぐや姫と違い、この作品は
かぐや姫自身から視た世界、かぐや姫の氣持ちが主眼になっています。

翁も、媼も、かぐや姫も、誰も悪くないのだけど(御門やら殿方は悪い…?というか愚かなだけか)
心の掛け違いで愛情がすれ違い愛する人を支配する方へといってしまう部分に親子関係の愛情のもつれをみます。

尊い姫に相応しい、と、翁が思った”自分の描く最高の女性のしあわせ”になって欲しくて、かぐや姫を自分の思い描く世界にあてはめ、それをひたすら目指し、強要していく。
しかしそれは、かぐや姫の望んだ姿ではなかった。だから二人の心は離れ、かぐや姫も自分を生きている実感が持てません。
そして媼にとっても望んだ暮らしではなく…。

その強要の強さ、強引さ、は、もともとは”娘への愛”の強さだというところが、本当に悲しい。

 

そんな親子関係を良くわたしたちは身近に見たり感じたりしてないでしょうか。

あなたは子どもでわからないのだから
とにかく受験しておきなさい
ここに今入っておけば、高校で、大学で、入社に楽だから。
安心でしょう?

この学部に行きなさい、ここの企業はダメよ。
いつ何時どうなるかわからないから資格をとって。
そんな夢みたいな漫画家?音楽家?やめなさい。
お金もらえるわけがないでしょう?

 

わたしが聞いた大変痛ましい話は、
6年生の図工の授業でコラージュを作った時に、1年生から受験に向け猛勉強をしていた男の子は他の子が好きな芸能人やスポーツ選手、漫画などを切り張りした中で、アンパンマンを貼ったそうです。
そう、彼の好き、は幼稚園で止まっていた。

更にわたしの心を暗くしたのは、その話をしたお母さん(その子の母ではない方)が、
笑いながら話したこと(笑い話の類としてその人は感じたようです)、でした。

これは子の心を殺しているのと同じです。子どもの10歳前後の思春期前は心も体も激変し、吸収し、成長する時です。
大人が漠然と似たような毎年を繰り返すのとは訳が違います。

その時期に吸収できなかったこと、身につけなかったことを仮に大人がしたら、
子どもなら3か月で学べたことを、
大人は10年しても同じように体にしみこませられるかは分からない、ぐらいの違いがあります。
例えば歯の矯正を例にとりましょう。

小学校低学年なら4年ぐらいですが、
大人になったら10年程度かかる。

また心理セラピーの手法で愛着障害を癒すのに、大人になってから赤ちゃんかえりをしてもらい、甘えるところから始めるものがありますが、これはオムツを替え、哺乳瓶を飲ませてもらう行為を2年も3年も、本人が愛情が満たされるまで行います。
とても時間がかかるものです。

更に研究データで子ども時代に身体を動かした人の方が結果、
脳の成長を促すので脳力も高くなると出ています。
成長期の小学校時代に受験勉強で机の前に居続けるなど本末転倒ではないでしょうか。

話がズレました。

 

そういった子ども自身の氣持ちを無視して親が押し付けるのは子どもの心の殺人と同じです。
あなたのしあわせや、あなたが良いと思うモデルはあなたのものです。
子どもは子どもの希望や夢があるはずです。

お互い、心の声が自由に、かつ対等に、それぞれが尊重して話せる環境であってほしい、そう願わずにはいられません。

 

また、このかぐや姫の物語では月の世界が描かれています。そこは清らかで、辛さ、悲しみ、心の葛藤が一切なく歳もとらず病もない天竺のような世界ですが、
しかしそこは別の角度から見たら循環無き、停滞した世界。
巡り廻るべき、感情がないから、悲しみがないから、悦びも、ないのです。
死や老いや病がないから、命の輝きも、ない。

循環の流れの中で、生きる、とはどういうことか、
この映画は教えてくれます。

高畑監督が作詞した曲を、
童が地球でうたいます。

まーわれまーわれ…

回転が季節を呼び、ケモノを呼び、
おひさまを呼び、命と死を呼び
巡っていく

そう言う唄です。

地球はまわり、廻り、死を生き、
生を生きている。

 

姫はまだ「まだ(自分の人生を、苦しみ愉しみ悲しみ全てを味わってない)生きてない!」と月へ行く前に嘆きますが、
それでも、わたしはかぐや姫は、都に行ってからは悩み、苦しみ、怒り、あきらめたことも含め、里で自然の中で共に生きたことすべて含め、思い切り身体で感じた。

そして地球で精一杯生きた、そう思います。