そして自分をゆるす、ということ

誰が何をあなたにしようとも
極悪非道の限りを尽くしても
もし、あなたの身が監禁されていたり
命を奪われたり
そんな環境にいない限り

さまざまな制約でもって
あなたを縛り付けている人、
それをしているのは実は自分自身です。

だからと言って、あなたが悪いのだと言いたいのではありません。
それをせざる得ない、
受け取らざる得ない状況にあった、
そう教え込まれた、
それしか道が無いと思わされてきた、
そう習慣付けをされてきた。

だから、あなたに罪はない。

ただ あなたがあなたを縛り付けている、
ならば、それはあなたが決意すればあなたは自分の人生を取り戻すことは可能なのだ、と言うことです。

その前提に、
あなたが あなたを ゆるすこと、
が必要です。

それは、

自分は悪いのだ、
駄目なのだ、
無力なのだ、
子どもではいけない、
大人になってはいけない、
女ではいけない、
男ではいけない、

などと思い込んでいる、
思いこまされてしまった、
それらを勇氣を出して、
手放すことを決意すること。

毒親を持った人は、哀しいことに親本人より、心の奥底で そんな親にしてしまった自分自身をゆるしていない。
(元より、そんな親にしてしまってないですが、自分のせいで親はしたのだ、と思い込んで罪悪感を抱えています)

親が冷たいのは自分が悪い子だからだ、
親は悪くない、と。
それぐらい親を庇ってる。

自分が駄目で出来ないから、
親はわたしを嫌っている、と。
それぐらい親を絶対視してる。

わたしがお母さんの言う通りの良い子になれば親は振り向いてくれる、と。
それぐらい親から愛を切望してる。

そんな絶対的で愛している親から、
疎まれた自分を、
無視された自分を受け入れ、ゆるす。

文字で書いたら、一行ですが
とても、とても、苦しいね。

虐待された子が親に赦しを乞うている。
痛ましい事件がありました。
なんて悲しい。
本当に赦しを乞う立場は親なのに。

児童相談所が引き離したら物理的な命は助かりますが、が、それは始まり。
心の救済はそれからです。だだ救出されただけでは問題解決にはならない。

だから、わたし達が取り組むことは
虐待する親を弾糾することでしょうか。
通報することことだけでしょうか。

それよりも実際的なのは
親和性のある社会を拡げ、社会の構成要員である一人一人に、そして虐待の要因を持ってしまったまま親となった人に、自分の心の傷というよりも傷付き過ぎて凍りついた その心に氣づいてもらうことかと思います。 

北風と太陽の話を思い出してください。
北風=批難、批判、弾糾は心を頑なにするだけ。

それに本当に その親の罪を裁けるのは
虐待された子どもさん自身でしかないと思う。いや、赦せるのは…。

だから親である人、親になる人、が、過去家庭で辛い目にあったとしても
社会に出たら、案外人って信頼出来るのだと学べる社会にすること。
社会が暖かければ その社会の中で家庭では得られなかった心の安らぎを感じられるかもしれないから。

それは互いにゆるし合える社会です。

だってどんな親だって完璧じゃない。
親だけが、子どもの全てに責任を負うより、皆んなで育む方がより豊かな育児システムでしょう?

そうした社会を形成すること、
それが わたしたちに出来る虐待の連鎖を止めることの一つであると思えるのです。

勿論、何甘いこと言ってるんだ、
亡くなった命は…そうですね、 
そうだと思う。

それでも根本解決は、
弾糾よりも、
親子引き離しよりも、

小さ過ぎて無駄かも知れないけれど、
子育て中、疲れ切った顔のお母さんに電車で席を譲る、
飛行機で泣いている赤ちゃんに許容範囲なら暖かく
騒いで大変ね、赤ちゃんなら当然だから泣いても大丈夫よ、と
笑顔で話しかけて先ずはお母さんやお父さんを安心させてあげる、

バギーで通りにくい重いドアを開けてあげる、
そんな社会全体で子育てしている共感覚が感じられる世間。

小さな小さな虐待には至らぬ、ボーダーラインの方は、それである一線を超えないかもしれないです。初期の子育てや介護の精神体力消耗は本当に過酷ですから。

それだけでも、防ぎたい。
思い遣りのある世の中へ一歩進めたい。

子どもは騒ぐものです。
動きたいものです。
いきなり歌を歌いたいものです。
いきなり走り出したいものです。

お年寄りは小銭を出すのに時間がかかります。
電車では立っているのが、つらい。
やたら時間が氣になりやすい。

若者は無謀なこと、はっちゃけたい年頃でしょう。誇大妄想にはまったり、そうかと思うと繊細で。
ある程度中年になれば、他人にお節介を焼きたいかもしれない。
それぞれにそれぞれの違いを受け入れられる世の中でありたい。

 
話が、逸れました。
元に戻しましょう。

自分をゆるす、それが難しい人は
(傷が深ければ深い程、難しい筈です)
先ずは自分から心理的距離が遠いところから ゆるす ことから始めることです。
出来る範囲から ゆるす循環を始めてください。それが巡り巡って、いつか自分をゆるす為の練習になるから。

ちょっと騒いでる、
でも楽しそうな子どもがいたら、
(明らかなマナー違反行為はダメですよ)

ただし無理は決してしないでください。
無理矢理するぐらいなら絶対に中断しましょう。(←重要)
あなたの心が優先です。

まあ、子どもだ、それに楽しそうだよなぁ
と、あなたが素直に(←重要)そう思えるなら、

 

ま、楽しそうだ、いいじゃないか
と心で呟く。

そうしたら笑顔にはならなくとも
あなたの眼差しは柔らかなモノになる。

猫が好きなら、街猫に微笑む。
あなたが好きで、やりやすいものから。
今まで何氣なくしていたならば、
今度からは 意識すること、です。
”わたし”が意図をもって、それを行っている、という行為は
わたしがわたしとして(自分軸に立ち返って)考え行動する思考回路の基本です。

 

これが 周りをゆるす 循環の始まりです。
あなた自身をゆるす、始まりです。
そしてゆるし合える社会の始まりです。
そして、あなたの自己肯定と尊厳を取り戻す始まりでもあります。

なんだ、当たり前でつまらない。
小さすぎる。そう思わずに。
日常は小さなことの積み重ねです。
小さなことこそ、一番大切なんです。
普通の日常にこそ、幸せが在ります。

ハレとケのケが大切です。
少しずつ、やってみてください。

 
そして自分をゆるす、ということ
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