淋しさや悲しみ、嫌いな人、苦手な人、辛い出来事はなぜあるか

”自己肯定を高める”生き方の提案
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さて、
本年度もよろしくお願い申し上げます。

 

淋しさや悲しみ、
嫌いな人、
苦手な人、
辛い出来事、

は、なくなりません。



恋をする、昔は 孤悲(こい)と書きました。
一人孤独に悲しむからこそ、
恥ずかさを乗り越える勇氣を出して
人は自らの心の内を、自分の氣持ちを、
相手に伝えようとするのではないでしょうか。


「あなたと一緒にいたい」と。


悲しみを知らなきゃ、
歓びはわからない
苦手な人がいなきゃ、
理想の人もわからない
嫌いな人がいなきゃ、
好きな人もわからない。
欠点がなければ長所もない。

困難な壁を乗り越えなければ成長しない。



ポジティブも、ネガティヴも、
今の自分の心で感じたことを誤魔化すことなく感じきる、とは、
それらを正面から見つめ、その感情に溺れることなく、誤魔化すことなく受け入れて、最終的に自らを丸ごと受容していくこと、肯定していくこと、です。
 
 
 
またそれはネガティヴも自らの糧に転換出来ること。
これ即ち、本来の自己をエネルギーを取り戻した、ということ。
これが陰陽が回転すること、
回転運動が起こって初めてエネルギーが生まれる、
故に、人生が動き出す。
生(命)を活(動)させて”生活”となる。
つまりあなたは生きている状態、となる。
 
 
だから自分の中に意味もなくふと”淋しさ”というネガティブなものを感じたとして、それをそんなマイナスな感情を感じるなんて、と自分を批判してはいけないです。それは究極、友人もいる、家族も仲良く、仕事もある、でも、漠然と消えたい、死んでしまいたい、とふと感じる乾いた想いすら、も。
 
 
生きる、の対局は死です。
 
生命である限り、
いつかは死を迎えるように、
昨日ほんのり意味なくしあわせな感じであっても、
今日、何もなくても不安がある場合もある。
 
心とはそういうものです。
 
 
また森羅万象、全て移ろい行くように、
悩みとて永遠ではない。
悩みの渦中にあれば永遠だと思いがちだけれども…。

 

 

呼吸が吐いて、吸うように、
吸うだけだと死んでしまう、
吐いているだけでも死んでしまう。

感じることをやめた時が心が死んでしまった時、です。
無感情、これは本当の危機です。
残念ながら現代社会の人は多いですが。
 
 
でも、例え、死にたい、であろうとも、
自分が消えてしまえ、でも、
感じる何があるなら、それの奥底には、
生と死のように対極の想いへと通じる道がある。
 

死にたい、には、生きたい、かもしれないし、消えたい、には、愛されたい、かもしれない。
 
 
だからどんな感情を自分の中に発見したとしてもそれは自分の今の感情に氣づけた、
ということ。
それは自分の心を取り戻した、ということ。
 
 
ポイントは一つです。
 
そのマイナスな感情や過激な想いが自分にあったとしても
それを受け止める心の柔軟性としなやかな強さ、そしてスペースが自らにあるかないかが問題なのであって
感じる内容が問題なのではない、
ということ。
 
 
あなたは生きている。
 
地球という星の上で、人生という、あなただけが味わえる航海をしている。
その航海では晴れも嵐も凪も、くる。
 
 
 
自己啓発だか心のセミナーだかの
自分に帰れば、秘密をしれば
心のカラクリをしれば
好きな人に好きなモノだけに囲まれて生きているとお金がやってくる=しあわせ
そんな浅いものに引っかかってはいけません。そんな世界はありません。
 
 
どんな嵐も、どんな困難も、あなたの航海マップには乗り越えられないものは生まれて来る前に設定してはいないのだから。
 
まるで過干渉の親がやろうとしたことすべてに先回りして危ないからやめなさい、と真綿で包んで閉じ込めるように
あなたはあなた自身を縛っていいのでしょうか。
 
 
好きなこと、というより
ラクなことに囲まれたフリをして、
自分の感情に蓋をしたまま、
同じく蓋をした偽りの仲間たちと凍り付いた引きつった笑顔で覆い隠して停滞した人生を選ぶのか。
 
 
それとも自分に挑戦し、成長し、
淋しい、と感じたならそれに寄り添いながらも、誰かに”わたしは淋しい”、と助けを求める為に手を差し出す勇氣をもって、
その差し出した手を握り返してくれる本当の交流をし合える仲間と楽しみも悲しみも味わいながら、躍動感のある動く人生を共生していくのか。
 
 
それこそ選択。

あなたは何を選び、
どう生きていきますか。