本来のあなた、で生きるのは勇気がいるね
本来のあなたに近づくと
躊躇する人は多いのであります。
本当に多いのであります。
あなたらしく生きる為に
そこを覚悟して飛び込むか、
やめるのか、
それはその人の選択だね。
怖い理由、それは自分を明け渡すから
とも言える。
他者に向かい、自分を開く。
自己開示のような。
ような、と言うのは自己開示は言葉で自分の話を語るけど、
この自分を開くのは、
何と言うか、言葉も態度も全てだから。
感覚としてはね、
崖に向かい、後ろを見ないで、
きっと抱きしめてくれる、
そう背中から身体を投げ出すような、
そんな感じが近いと思う。
なんとなく怖いの分かった?
でも受けとめてもらえる、
大きく暖かい腕が、
あなたを包んでくれる、
これが世界に対する、
人に対する、
無条件の信頼の証なんだ。
そしてアダルトチルドレン は知らなかった感覚。
あの人なんだか幸せそう、特に何かしてもないし、持ってもないのに、なぜ、って羨んで来た人とあなたの違いはこれだったんだよ。
愛され受け入れられて育ってきた人が持っていたのはこの信頼感なんだ。
世界に、他人に、そして自分に。
自分は居ていい、あなたも居てもいい。
時に嫌なこともあるけど、きっと明日や違う人は受け入れてくれる、きっと自分は大丈夫、そんな絶対的で無条件な信頼感。
自分を丸ごと相手に、社会に任せられる、
委ねられるかどうか、それだけだったんだよ。
(とは言え、これはアダルトチルドレン には崖に向かい背中から飛び込むようなことで恐ろしいこと、死ぬ気にならんと出来んことでは、ある)
これをレジリエンスとか自己肯定感があるとか言う訳だ。
が、しかしアダルトチルドレン はそれをして痛い思い(死ぬほど苦しい、または永遠に消えたい程恥ずかしい)をしたか、
それをする機会が与えられずに来た訳だ。
つまりは、
あなたが性格が悪かったとか
あなたが能力がなかったからとか、
そんな欠陥やダメとかの話じゃなく、
この世界に対しての信頼感がなかったから、
人を疑って
人を信頼出来ないから
独りで強がって、
自分を疑い責めて、
時に悪いことがあれば恨んで、
閉じこもって羨んで、
ずるい、
わたしはなぜ…!!!
そんな世界感で、あなたはあなたを閉じ込めて苦しめてきたんだよ。
でもさ、
もう、解放されていいだろう、
わたしは幸せになっていいだろう、
そう思うならやることだ。
あなたが生きる、生きている
今、そこにある、あなたの仲間に向かって身を任せなさい。
あなたを投げ出しなさい。
今さ、躊躇してるあなた達ね。
あなた達は、もうわたしによって残念ながら(?)あなたの神経系統やらを潜在意識や身体を調整されてしまったので、
任せられる”あなた”になってしまっているのであります。
(共にじりじりしてる仲間が今、まさにいるよ。で7月に踏み出した先輩がいる。続いてよ)だからさ、やってみんさいな。
勇気を出して。
生きる為に。
せっかく産まれてきたんだから。
より善い生き方を、
あなたらしく生きていって欲しい、
そうわたしは願います。
また、あなたを心より応援してるよ。
いざ、行かん。
