学校ね、行くのが苦しいなら、辛いなら行かなくていいんだよ。
行かないこと=駄目な自分、ではないから。
だってさ、行かれない、行きたくない、には君の理由が必ずあるのだから。
だから辛いんでしょう?
でも君はこう思っているのかもしれない。
理由なんかないんだ。なんか虚しいだけ。ただ教室に行こうとすると足がすくむ、とか、頭痛がする、とか、お腹が痛くなる、とか。
むかむかするとか、眩暈がする、とか?
それだけで、って。
だから怠け者の自分、とか。
理由なんかあるようで、ないから、駄目な自分だ、とか。
みんな行けているのに…!とか。
でもその足がすくむとか、頭が痛いとか、お腹が君の気持ちを代弁してるんだよ。
子どもはね、まだ、自分の感じていることを言語化、つまりは言葉にして
「原因がこうだから、結果こうなのだ」
と上手く説明できない(いや、感じることができない)けれど、身体はそれを発信してるんだよ。
けれども子どもは(10代も含め)前頭前野という思考能力を司る部分がちょうど思春期から発達を初めて、そこが成長することで言語化がよりよく出来る過程にいるから、感じること、それは子どもが得意なんだけど(だから敏感に身体が反応するんだ。嫌だとアトピーが酷くなったり、咳がとまらなくなったり、お腹がゆるくなったり、逆にひどい便秘になったり)言葉に上手く出来ないということになる。
それは大人も、そう。だけど大人は仕組みがちょっと違う。大人で自分の感情をコントロールする(=抑圧する)ことが大人の嗜みだと勘違いしてるからね。言語化の前に感じることをしないようにしてるということで自分の無視してる人が多い。
そして自分がしていることと同じことをしたがるのが人間ってやつだから、大人は子どもにも、我慢(=感じるな)しなさい、と言ってくる。
「なんとなく嫌?とかそんなんで将来どうするんだ、それぐらい我慢しろ。学校行かないでどうする」とかね。
そしてら大人は言うよね。
何が原因なの?将来どうするのよ?
そして君は思うよね。
何かはよくからない。そして将来どうなっちゃうんだろうって一番こっちが知りたいよ。
聞かれたって、自分が一番答えを知りたいのに分からないから、またはどうしていいかわからないから悩んでるのに。
それに学生の頃って本当にクラスやlineグループが世の中のすべて、そう感じる時期なんだよ。
本当は世界は本当に広いんだけどね。
でももうここで駄目だからどこにも逃げ場はない、ってそう感じる。
そりゃ辛いよ。どん詰まりだもの。
わたしも10代の頃はそう思ってたよ。
このクラスで、家がここで、これが世界のすべてだって。
本当は違う、そう分かったのは年を取ってからだったよ。
君は本気で学校に行こうとしてきたんだよね。
でも、本当に頭が痛くて、お腹が苦しくて、なんか吐き気がしたりして、足がすくんだり震えたりしてしまう。憂鬱な気分になる。前日からなんだか暗くなる。
でも繰り返すけど言葉に出来なくてももし身体がそう反応するのはそれは理由が必ずあるんだよ。
そこをちゃんと分かったらね、君は行動できるようになる。
それは本当。だってなんだって原因がわかったら解決できるでしょう?
本当の理由がわからないから、自分は学校に行けない弱い人間だ、とか怠け者だとか
思ってるけど、そんな人はね、自分が駄目だなんて自分自身を責めたり嫌ったりしないよ。
本当の怠け者だったら、行かなくていいんだ~ラッキー♪って思える人。
ずっと家に居ても、それで何にもしないでゲームしたり遊んで、全く悩まないよ。
君はそう思ってないでしょう?
行くのも辛い。けど休んでるのも辛い。どうしていいのかわからない。
こんな役に立たない人、駄目な自分は、キライ。
だから、いっそこの世から消えてしまえたら楽だって感じることもある。
そう死にたい、っていうより、消えちゃえたらって感じてない?
いやその前に、なんで生まれてきたんだ、とか、生きてる実感がない、とか。
もしそうだったらね。
お腹が痛いなら、お腹にそっと手を当ててお腹がどう痛いのかを感じて欲しいんだ。
まずお腹のどこが痛いのか、キリキリ痛いのか、ぐるぐるして痛いのか、どんな時に痛いのか。
キリキリはどんな間隔で痛いのかって。生きてる実感を心が今感じてられないから、お腹が代わりに言ってるのだから。いけないのは、なんで痛いんだ、腹立つなあ、とか、邪魔するな、とかそう思わないこと。
痛いんだな、って友達にするように見てあげて欲しいんだ。
君が君のお腹に対して。
それはなぜかって言うと、君がお腹が痛い理由をお腹が表現してるから、なんだ。君が言語化出来ない理由を代わりにお腹が言ってくれている。でもお腹には口がないから、痛みとか感覚で表現してくれてる。
だからその表現がどんな風か感じて欲しい。
感じたからなんだ、って思うかもしれないけど、そう感じてるとね、君がなぜお腹が痛いのか、本当の理由が分かってくるからなんだ。もしわからなくても、本当に君がその痛みを否定も拒絶もしないで(嫌だな、とか思わないで)寄り添えたら、痛みが弱くなって落ち着いてくれるよ。
それはお腹が自分の表現したこと(=痛み)を受け止めてくれた、って証拠なんだ。
そういうものを感じること、そこに耳を澄ますこと、それが生きてる実感を取り戻すことなんだよ。
虚しい、って心がぽっかり空いてる感じがするなら、その穴に手を添わせて、どんな深さなんだろう、どれぐらいの直径なんだろう、って感じて欲しいんだ。生きてるから、君が生きてるから、そこに穴があるような虚しさ、を感じられるんだよ。いや虚しいなんて、こんなの感じたくない、って思うよね。でもさ、ということはだよ、考えて欲しい。ということは、その穴を何かで満たすことが分かれば、そう君が本当に欲しいものが分かるってことへ繋がっていくってことなんだよ。
それが分かった時、君はまだ生きてるのが虚しいって思うだろうか。
上で説明したのはね、実はフォーカシングプロセスっていう心理療法の一つでシカゴ大学の心理学者で哲学者のジェンドリン博士が体系化したもののやり方の最初の部分なんだ。彼はユダヤ人で10歳になる頃、ドイツからナチスの手を逃れる為に一家でアメリカへ逃げた。その時に彼のお父さんが偽のパスポートから何から完璧に手配してさあ逃げるだけってなったのを一回辞めてしまうんだ。その時、お父さんは真っ青な顔をしながらこう言ったんだ「よくわからないけど、なにかがいけない感じがするからやめよう」で、実際その手配で逃げていたらナチスに密告されていたという(結局違うルートで逃げて命が助かった)。ジェンドリン博士は効果があったカウンセリングは何が違うのか、を研究してフォーカシングを作ったのだけど、後にその時の自分の体験を父はある意味あの時フォーカシングをしていたのだ、と回想してる。
だから身体で感じること、って、理性や理屈よりも超えたことを教えてくれているんだよ。
(だたし繰り返すけど、大人になると抑制したりして感じなくなったり、誤解したりすることが多いけどね)
君が今、苦しいのは、君の声を誰も聴いてくれないからじゃないのかな。
君の気持ちを分かってくれない、って感じるからじゃないんだろうか。
もしそうだとしたら君は君のことわかってあげてよ。聴いてあげてよ。頭のどこがどう痛いんだろう?痛いって言葉なんだ、表現なんだ、君を困らせてるって敵じゃないんだって。
そうして、こいつなんで痛くなるんだよ、そう自分の一部を責めることをやめないか。もう自分を責めるのをちょっと休憩しよう。やめられないなら休戦でいいから。
そうしたら君は少し元気になれる。
先ずは君が本当に心身が元気になること、それが初めの一歩。
苦しかったり、辛いって、それって元気じゃないじゃない。
だから行かなくていいんだよ。元気ないんだから。
でね、元気になったら、きっと今の学校だけが世界じゃないって思えてくるはず。
元気じゃないときって世界が狭く狭く見えてしまうから、どんなに良いものが側を通ったり、
他に道があったとしても気が付かない状態なんだもの。
だから元気になったら色々見えてくるはずだよ。
そしたら本当の君が行くべき場所も見つかるかもしれないじゃない。
だからまずやること。
それはSNSはシャットダウン。他の人はどうでもいいの。でも気になるでしょ。それは普通。というか他人や最新情報が気になるように仕向けられているのがSNSやスマホだから。
だから物理的に離れるしかないです。嫌な人は消せないけどSNSは消せるし、スマホは電源を消すのは君がスイッチを切ればいいだけ。それをする自由が君にあるってこと思い出して!(思春期は特に難しけど。実は大人でもそれでほとんどの人が実はとてもとても悩んで鬱状態になっている。日本人は同調圧力に弱いしね。マスク見てもわかるでしょ。屋外では外していいって言われてもコロナ以上に人の目を気にして外せない、でしょ。)
静かになったら、改めてそこで君自身の身体の声に耳を傾けてあげてくれないだろうか。
悩みや不安や気持ちって、解決法が見つかることやアドバイスをもらうことよりも
聴いて欲しい、わかって欲しい、って思っているのだから。
君の声、聴いてあげようよ。ただ聴いてあげよう。
それが自分を知る一歩。
知ってあげようよ、自分自身を。
何を望んでいるの?わたしはって聴いてあげてよ。
