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「わたしって変わってるから」と言う人の心理

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そう言う風に自分のことを言う人で、本当に変わってる人、っていません。だって本当に変わった人って発想がぶっ飛んだ人であって、なんか仲間に入れない人、なんか浮いてる人、ではないから、です。

わたし、変わってるから

そう口癖の人は、こちらのパターンの方が多いと思います。仲間から浮いている、馴染んでない、空気読めない、的な。本当に変わった人とは、発想が超越しているので浮いている、というよりも既にそこには居ない、ワープして先に言ってしまった、という感じで、本人から多分自分は変わってる、とは言わないと思います。

最近わたしが見かけた変わった人とは、

ある職人修行中、修行に集中したいのに夜の街やネオンが好きすぎて誘惑に打ち勝つのが難しい…そうだ!睡眠を2時間にしたら行きたくなくなるだろう、と夜中のバイトを始めたそうです。

この様に変わった人の発想は聞いても、あ、その発想があったわ、と膝を打ち真似しよう、とは10人中1人いない…ようなワープ発想が出る人です。

そう、わたしは変わってる、

とあなたが仮に思っていたとしても、何か自分が出した発想、アイデアが、あ、それいいね、と半数以上同意してもらえそうな範疇のものであるならば、

あなたは変わっている、のではなく、

多分仲間に入ること、が苦手、

または、

入り方がわからない、や
仲間にいれてもらう練習する機会がないまま来てしまった、などなどの、
仲間入りをどうするか分からない人、
であって、変わった人、ではないのです。

しかしそうした人は本当は仲間を切望している人、なので、まさかわたしが仲間に入れない、または浮いている、ことを認めることは辛いこと、です。

だから最初に、わたしは変わってるからと、言い訳や免罪符をしている訳です。そもそも本当に変わってる人は独りがそんなに苦手ではないです。いやむしろ好きな人が多いでしょう。

わたし変わってるの
だってここがこうだもん

と言う人もいるかもしれないけど。

それは個性、だから。
個性は個性でそうですよね、色々あるよね、もちろん、あなた、にも。
大切にしてください。だけれど、わたしがお伝えしたいのは

本当に変わってる人は、自分からは言わずとも周りが

あんた本当に…変わってるから…

と言われる人で、

わたし変わってるから〜

の人は
寂しい構って
仲間に入りたい
わたしを見て
ってことだと言うことです。

一言で言えば寂しい人、です。

また、わたしは変わってる

と言うフレーズを言わなくても、
ネット、特にSNSなどで異様な自己開示
(最近は整形告白みたいなもの含む)は同じ行為です。子宮の教祖さんみたいのは勇気でもなんでもなく、構ってちゃんの究極バージョンと言えるでしょう。

何が言いたいか、と言うと、

そうした人は変なスピリチュアル団体に入ったり依存させる自己啓発セミナーやその他の中に取り込まれ、世間から離れてはいけない、と言うことです。だって本当は、世間に入りたい=仲間に入りたい、のが望みなのにどんどん離れているじゃないですか。またそうした世界、グループに入った時、やたら抜けにくい、変な団結力、があるのはそうした寂しい人同士だから癒着がおこる。それは共依存の関係に他なりません。(だから抜けにくい)そこは興奮した盛り上がりや褒め殺しの世界であり、陰での激しい嫉妬やマウントが起こりやすい。

話は脱線しますが、どうもわたしはサル学(類人学研究)でマウントと言う言葉に触れたので人間関係でマウントと使われてると違和感を覚えてしまいます。意味は同じなんでしょうけど、なんとなく。
ええ、どうでもよい話でした。

話を戻しまして。

本当は寂しいのに、わたし変わってるから、とアピールしたら相手から一線引かれてしまいます。自分で距離を離れるように仕向けたらいかんですよ。

素直に
わたし、独りじゃ寂しいからいーれて!!
で、ここでのルールを教えてくださいな。

って言うのが良いじゃないかな。

それをツンツンして、

わたし変わってるから

とか

ヅカヅカ入ってきて

わたしってこうだから

と鼻息荒くして強引にしていたら

一見入ってても浮いたりしちゃうよ。

それを感じて、

だからわたし変わってるんだ…って自分で自分を間違えたものを再教育してる。

自分自身でね。
囚われた人はこれを、してる。
他でも、してる。色んなことでしてる。

セッションではそれをしたら先ず待てよ、と立ち止まって客観的に捉えられるような状態に自分を出来るよう、その人なりのそれぞれのやり方を一緒に作っていく。

と言うことは、そう、行動に起こせるかどうかはその人次第。だってやり方は教えてるから。セッション前はやり方を分からないから出来ないんだよね。

でもセッション後は分かったんだから、やらないと。やるかやらないか、は、あなた次第なんだよ。それを繰り返すことで、自分自身が、本当のあなたが定着し始める。あなたの還る場所、本来の自己がほのみえてくる。あなたは自分で自分の還る場所を育て作っていかないと、ないんだよ。

軸はあくまでも道しるべ。
道しるべも忘れているようでは自己を保つことなど出来ません。と言うか自分で日々作っていき続ける必要があるのだから。

本当の自分に還りたい、

なら、断言するが、

自己とは揺るぎ曖昧な、もの。いやだからこそ可塑性があるもの、脳と同じです。可塑性があるからこそ、育て変化させ成長させられる。そう、本当の自分とは自覚し自ら育てていくもの。

だから自分の願いを言語化して自分軸として自己を捉えやすくする、それは広大な海原で、そこら辺かな、と碇を下ろすような、そんな不確かなモノ。そう、迷う船に方角を教える星座の道標が自分軸を言語化した3つの言葉なのだ。(※自己回帰セッションで出しています)そうだね、あえて言うなら自己とはある種の願い、が凝縮された時に具現化される状態と言ってもいい。

だから頑固な固定された自己がある訳ではない。それは死んだものだ。それは間違えている。

故に、
本当の自分になりませんか、そんなセッションをする人間がいて、その人がまるで何か完成されたモノがあって殻を割ったら出てくる、だから本来の自分に戻ったら才能溢れ、愛されるように…なんて謳ってたら大間違い。

その人は自己がなんだかまるっきり分かっていない。

本当の自分は曖昧なモヤの様なものを自分自身で守り育てることで浮かび上がるもの。そしてそれは自分自身でしか出来ないもの。だからセッション終了時は、これから育てていく、と生きている限り自分育ての旅なのだ、と言うことです。

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