これから二極化する時代 を”マタギ”と”ハンター”の違いに例えて解説してみよう

年号が変わりましたね。
1日から ますます太陽の光が素晴らしかった。生き生きしていて見ているだけでスキップしたくなるような。
そういえば年号変わる前日に家付近を皇太子さんが通るとかで、もー数メートル置きに警察官やら警備の方がいて、白バイも数分ごとに巡回。
こりゃ天皇の仕事は本当に大変じゃのう、とつくづく。自由がない…。
皇太子時代はここまで(まだ皇太子だけど間近に即位迫るという意味で)警備厳重ではなかったもの。

さて、
ヨーロッパは狩猟をハンティングを楽しみます。どれだけ上手く犬を操るか。獲物の数を獲れるか。自然をコントロールし、自らの力を誇示するゲームです。
そのタイプをハンターと定義したい。

一方、マタギは山神さまを祭り、熊、鹿、獣を崇め、山の自然を知り尽くし、山の恵みと共に生き、一部の命をいただく人たちです。
自らの命をかけ、熊と対峙して生きる人たちです。マタギはキノコも山菜も取り尽くしません。
キノコが群衆した場所からは猿に一部を、来年また生えるように一部を残す。そしてキノコ狩りにザルを使うのは採集したキノコから落ちる胞子を山に還し、またキノコが生えてくるように。

だから熊を仕留めた後、山神さまに魂を還す為に、代々伝わる秘伝の言霊を唱えます。そして、毛皮、内臓、肉、全ていただく。熊はマタギの命となって復活します。そして マタギ勘定、として獲れなかった人にも仲間すべて平等に分かち合います。
そんな文化が日本にあることを是非知ってください。

今、ある地方の、そして多分最後のマタギの方は日頃の仕事は杉林などになった山を元のクヌギやブナの森に還すことをされています。
そうなれば熊は人里に降りることなく森に還り、山に豊かな生態系が蘇ることでしょう。山を敬い、共に暮らし、また山に貢献する、なんて素晴らしい命の、人生の使い方なんだろうと思います。

他にも どの山だったか…もう亡くなられたのですが、ご夫婦で限界集落で人々が去った山を花でいっぱいにしたら誰かが喜ぶだろう、山に人が来てくれたら、山も喜ぶ、と何十年かけて様々な花の木を植えて山が花満開になるようにしたご夫婦がいました。
今、山は四季を通じて、それはそれは綺麗な様々な花が咲き乱れた山になっています。わたしが、いつか行きたい場所の一つです。

それにしても豊かな心と人生でしょうか。そのご夫婦の笑顔がまだわたしの目に焼き付いています。
本当に素晴らしい笑顔だった。

また古来日本人は山里で暮らし、亡くなった魂は山に還る、と信仰がありました。お盆には山から魂が帰ってくる時です。
そんな風土を学ぶことは自分のルーツに根を下ろすことではないでしょうか。

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また盛大に話が逸れました。
戻しましょう。

一方、合理主義的なハンターやAIは無駄が嫌いです。またルールにのっとった反復の動作が得意です。

だから全てを一ぺんに取り尽くします。
そして全てを見つけた、その人だけの手柄とします。敵に簡単に素早く全てを取り尽くすことに夢中すぎて、
どうやってそれが、
そこに生まれたか、
そこにあったか、は眼中にありません。

“それ”の想いも、
それの歴史も物語も全て無視、です。
しかし早く安く楽に合理的に、上手く生産性を上げます。

そう、だから想い(=そのもののストーリー)を背負う非合理的なマタギは残念ながら絶滅寸前です。

けれど、わたしにはマタギの技は伝承出来ないけれど、生き方は近くありたい。
そして真実の生き方は、ある種普遍として全てに伝わるものがあると思っています。
更に通じるものも。

例えばわたしの仕事ならば、
合理的なビジネスとしてのセミナーやパターン化した誰でも出来るパッケージ売りのセッション、マニュアル化した講座やセッションを展開を組織化する手法はハンターの役割です。
ブログの順位やフォロワーの数、いいね の数の競争、人氣や稼ぎやらの比較争いやマスコミの露出などはハンターに任せます。

わたしは心理セラピストとしてマタギでありたい。自分の命や技能を正面から使い、
その目の前の方に合わせて手法を生み出していくセラピストでありたい。
クライアントさんの痛みを共に感じ、聴き、クライアントさんと共に生きたい。
クライアントさんが押し殺してきた心の声の代弁者でありたい。

更にそうした生き方を選ぶ人々が、
他の職業でも次々と出てくる、
選択される、
それこそが新しい時代なのだ、
と感じています。

故に、マタギと言う人々は、
ある意味、近い将来もしかしたら居なくなるかもしれない。けれどマタギの魂は消えない、様々に形は変えどいろいろな人の生き様の中に生き続ける、
そう、わたしは強く信じています。

だからもし、わたしもそうした自分本来の生き方、自己実現を果たしたい、そう感じた方は自己回帰セッションを受けてみてください。
共にあなたの生きる歓びは何かを探していきましょう。

ですから、わたしは
スピ界隈や、自己啓発界隈の愛の時代だ、
ワクワクの時代だ、二極化だ、ハラで決めること、などと言う言葉先だけの話はよくわかりません。

いるだけで愛の人、ダダ漏れの愛ってなんでしょう。愛は実践するものです、想いを行動で示すものです。マタギや、そして上にリンクを貼った方々のように。

二極化ってどんな風に?
あの人は氣づいていないからダメとジャッジする為?
またブログ記事を転送・転載はご自由にって、それってその人が自ら考える前にラクに溺れる為の誘惑してない?どんなに文が下手だとしても、その人自らの心からの言葉ならば誰かの心に響くけど、真似した文章やウソは見かけは綺麗だけど中身はない。
自分を信じて過去遡り、その施術者のブログをよく読んでください。何か不協和音な感じや矛盾が生じる記事ならばあちこちから真似したものです。また理解しきれていないから消化不足なままでしょう。

それに本音かどうかハラで決めました、とかって具体的にどうすることか理解されているのか、かつご自身が、またクライアントがその状態にあるか、ないか分かってるのでしょうか。
例えば丹田に意識を持って行っただけではハラで決めた、とはならないです。ぱっかーんした、バンジーどきどき、も同じです。どちらも奥から出たメッセージはとても静かなもの。
そんな躁病みたいなものはマヤカシが多い。

そんなこと言うならお前にはわかるのか、と言われるかもしれません。

わかりますよ。

だからこの仕事をしています。わたしはクライアントさんが心と身体が活力に満ちた状態になれば共鳴して分かる。意識がどこにあるか、ブログや写真、メールから その人のサードアイの状態をわかります。だからブログでは虚勢を張ってる施術者やヒーラーなどの方々の虚言を残念に思う。

そしてそれらを読み取る能力は、わたしの人生に生きづらさや苦しみや孤独をもたらしたけれど、この仕事では人の役に立つ。
だから わたしはこの仕事を選んでいるのだから。
(そしてね、太陽の光のコードがこれからの時代の為に、虚実を暴く能力を下ろしています。地球にいる方々全てが意識しようがしまいが松果体にダウンロードしてるから なんとなくわかるようになる、だから通用しませんよ、もう。)

それでもセッションは本当毎回自分なりに必死です。直前まで毎回祈るように、終わったらひたすら振り返り考えます。得意なもの程 真剣に真摯に直向きに自分全てを使わなくては出来ません。 
だって この仕事は他の方の人生に関わることだから。
カウンセラーやセラピストを目指されるならば、それを覚悟されて、と思います。
(※たまに養成講座に通う方に「どうですか?」質問されるので。わたしは必ず「他者の人生に介入する覚悟と信じる勇氣と忍耐力はありますか?」と問い返します。殆どの方がキョトンとされるけどね…)

 追記   

この記事アップしたら 東京で本物のマタギ(福島の人)に会ってしまいました。嬉しくて握手してもらいました。優しい手だったなぁ。熊の脂を買いました。火傷とかなんでも効くのだと言う。
 
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