その1の続き

で、なんか今の世の中って
薄っぺらいなあ、活気ないなあ
って思いません?
わたしは感じます。
一見、小奇麗にまとまってる
ような感じだけどね。
それは人が同じゴールしか
目指さないからだと思います。
人はもともとフォトンを
発しているのだから光の子です。
いきなり神様かいって感じですが
そうではなく、
微弱電流という生体エネルギーを
発しているという意味で。
昨今の学校では
カエルの解剖をすることは
なくなりましたが、解剖した足に
電氣を通すとぴょん!と動く、あれです。
人間も然り。
それで、です。
よく、スゴイ人にはオーラがある
とか言ったりしますけど
それはその人が本来の自分を確信し
生きているから、
生体エネルギーが循環よく
活性化し、身体からエネルギーが
満ち溢れているのを
皆さん自然と感じているのです。
更に、ご自身のエネルギーが
活性化することで
量子力学的に
ゼロポイントフィールドからも
エネルギーが流れ込んでくることになりますからますます富肥え太る。
(エネルギー肥り?)
これが引き寄せとか言われたり
お金持ちのところにお金が更にやってくるとかという
仕組みと同じことなんでしょう。
話が逸れました。
つまり一人ひとりが、己がまま生きる
世の中になればそれぞれの
生体エネルギーがパワーアップし、
パワーアップした人々が集まれば
社会も活性化したエネルギーで
キラキラ、生き生きした場所に
なるはずなんです。
抽象的な言い方にしてしまうと
少ないモデルコースの一方方向の社会では
同じ方向の糸で作った糸の束でしかなく

縦横無尽に方向も距離も違う
それぞれのゴールがある社会とは
その縦も横も斜めも渡された糸で作られた布(二次元)へ

そして、更に
立体化(三次元)された編み物が
出来上がる世界になるのでは
ないでしょうか。

出来ないので驚愕の世界です。
故に、多種多様な人々が存在する中で
スタートからゴールの道が
同じであってはならないのです。
ただ一方方向にしか渡せない糸は
どんなに糸の数が、量があっても
編まれないから布地にはならず、
世界の創造に至らないから。
そして多種多様な道があれば
思わぬ人々が出逢い、離れ、
また巡り会うことで
さらなる人々が交わり、
その出会いは 響きあい、
飛躍的なエネルギーを生むことでしょう。
少なくとも硬直した世の中にはならない。
だからこそ、道のりもゴールも
違うのです。
そして、沢山の人がいるのです。
そして、それぞれの人が皆、素晴らしいのです。
そして、勝ち負けなんて、ないのです。
あなた しか織りだせない
糸が(=意図)、
模様が、
色が、
あるのだから。
あるがままとは
理想の人生ロードを歩むのではなく
自分本来の道を探し、自分のゴールに
向かい深めることではないでしょうか。
1日に朝と夜がある様に
世界は隠と陽という両方で
出来ているから。
そこには困難や試練も時としてあります。
道だから、そして生きてるから。
そう、生きてるんですよ、生き残ってる。
あなたは、この世に色々あったけれど
生きて、今、このブログを読んでいる。
あなた自身を、今、この瞬間、
すでに立派に 生きてるんですよ。
そして その試練や困難は
お仕着せの道の試練とは違う筈です。
越えた後に、
自分の想像以上の宝があるからです。
それはきっと内から湧き出る
誰にも奪うことの出来ない本物の自信だと思います。
その自信、こそ、この世に生きていて
ああ、わたしは生きてる、
という存在していることだけで
充実感を得ることのできる
力の源となるでしょう。
だからわたしはクライアント様に伴走して
それぞれの方の道を
思い出してもらうまでが
仕事だと思っています。
だからある意味、本来の道に乗るまで。
その後、自ら決断し、実行し、
深めていくのはご自身しか出来ないのだから。