セラピスト・カウンセラーの選び方

元認定カウンセラーだったあなたへ

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あのオープンカウンセリングの時、
なぜわたしの問いかけに応じ、
クライエントのフェルトセンスが反応した瞬間、
あなたはそれを妨害したんだろう。

そのままフェルトセンスが怒り狂っているのを
無視し、クライエントの氣を他にそらして
心理療法風味、の小芝居を続けたんだろう?

それはうらやましかったからだよね。
負けた、と思ったからだよね。
だってその前の認定カウンセラーが全く迷走したままの
無駄なカウンセリングをしている時は余裕で見ていたのだから。

でもさ、クライエントさんにとって
それはどうなんだろう。

あなたの、「私の方が上」と言う
負けん気と証明をみんなの前で示したいが為、
犠牲になったのは、だれか。
クライエントさんだ。

実はこれはこのセッション業界(?)では
本当によく見られることだ。
カウンセラー仲間が真の友情?

ない、ない、ない。

表向きだけ、裏では先生に一番気にいられてるのは私、
本当は一番うまいのは私。

だからわたしは離れた。
互いに切磋琢磨する関係がわたしの望む関係であり、
嫉妬し合う、つぶし合う関係、表面的な関係を望んでいなかったからだ。

それに実は何度もこの仕事を辞めようと思ったことがある。
こんな人たちと同じような人種にみられてしまうのではないか、
同じと思われたら嫌だという想いからだ。

そもそもわたしにとり心理療法での第一優先はクライエントであり、自分の見栄や負けたくない、というくだらない感情なぞセッションで存在することはないからだ。
いや、ある意味負けたくない、は悪くはない。
だが負けたくないなら、誰の猿真似もすべきではないだろう。
努力の方向、そして在るべき心根が間違っている。

実はこれを二人の認定カウンセラーにやられてる。

一回目はまだ認定を続けているが、
わたしがカウンセラーデビューのカウンセリング中にされた。
(癒しのマリア様的な存在でその組織にいるけどね、実体はそんなもの。自分より出来ない人には優しいが違う場合は潰してくる。そもそも先生がそういうタイプが多い。可愛がるのは自分を越さない人間)

そして二人とも今だ、わたしの後を追いかけようとしてる。
つまりは人の猿真似だ。
恥ずかしい、人として美しくない。
美しい人、とは美容やスムージーを飲むことではない。
自分自身の足るを知っている人だ。

わたしは起業した当初時から主張もメニューも変えていない。
自分の成長の度合いによりより表現や内容が変わる部分が
あったとしても芯はまったく変わっていない。

自分を生きてこれず、
苦しくて、本当に望んでいること、
本当は一緒に居たい人、
誰かへの奉仕ばかりして、
自分を大切に出来ないできた、人。

その人自身が望むこと、
その人自身の夢を思い出して欲しい。
自分の生き方を歩んで欲しい。

そう思ってきた。

だから自分自身に還る、これが最初からの想いであり、
自他ともに自己一致している状態ということが幸せである、と思っている。

だから自分軸の探求であり、また身体を幼少から壊していて
整体から始まり整えること、を重視してきたことが心理療法と合致したため、その自分軸、身体、心、という三位一体をメニューとしてきた。

が、あなたはわたしをオープンで目のあたりにして
羨ましくなり、いや、負けたくない、と
その組織を離れ、やったこと。

他人さまが開発した自分軸発見セッション、
ストレッチの資格をとり、と。
どこがオリジナルなんだか。

そう、たいてい自分に自信がない人、
また出来ない人はもっと他にアイテムはないか
と違うことに手を出す。

よくいないか、わたしはこれだけ学びに投資してきました、
そう金額やら年月を自慢する。
そして今はこれに向けてチャレンジ、やらこの資格を取っている、と。
資格は取ることに意味があるのではなく、過程の中に新たな発見があるかどうか、また何か過去の解決できなかったものへ新たな光をもたらすかどうか、が本当の学びであって資格なんて法的な部分以外意味なんかあるんだろうか、とすら思う。

だいだい認定資格やら、なんたら資格なんてそれ自体がビジネスなんで。そこで儲けてるのだから本当には難しくしないですよ。

ある程度テストがあっても用語を覚えていたりやり方を覚えていたら資格与えちゃいます。少し難しくとか、努力が必要だとより、その資格にありがたみが出る(つまりは高値で売れる)でしょう。
だってそうしないと次の資格とろう、また講座受けようって思ってくれないじゃん。飴をあげないと。

資格も認定とか上級とかも飴だから。実力じゃないよ。
実力ある弟子は潰すのが師匠だからね。
そういうのね、師匠ビジネスって言うのさ。
その師匠ビジネスの仕組みを今度はコンサルって人が売る。
それがネットやらSNSを駆使したビジネス?ってやつです。

だから週に3日しか働かずに、遊んで暮らしてるけど大儲かり、とかのネットワークビジネスが存在するわけです。

動画を売る、とか、テキスト売る、とかオンラインサロンに入ろう、とか。動画に任せるのか、テキストをダウンロード勝手にしてくれて儲けるのか、オンラインサロンでその中の人が勝手に話し合ってくれて、その中だけで特別感を出した商品を売るという顧客の囲いこみが出来るとか。

んでも、もともとこの発想はアメリカのネットワークビジネスが発端です。
化粧品、鍋、薬、情報教材、子ネズミがあなたの為に働く、ってね。アメリカはこれを普通の企業にもどんどん取り入れていったんだよね、プロアクティブとか、聞いたことある会社だよね。

だから貧富の差が激しくなった。

しかも富裕層であればあるだけ、直接的な労働、と乖離した現場になっていった。(それが3日だけ働いて後は…だ。)
分厚い中間労働者層があること、それが社会的安定と幸せを招くのに。

だからそんなのに参加したらダメだよ。


身近な例で言います。クーポンって使ったら得したって思う?
でもそのクーポンのお金のしわ寄せはバイトの削減、機械化、になるんだよ。巡り巡ってどこかで自分か家族の雇用に跳ね返る。
直接じゃないけど、どこかで。

懸賞も得したような氣になるけど、でも、企業が売りたい商品ってのに踊らされる羽目になる。ポイントも同じね。
だってこの商品買ったら、でしょう?

あなたが欲しい物を選ぶ自分の意志を捨てて、または依存して、
お得感を得ることが、あなたの真の自由だろうか。
わたしは自らちゃんと向き合った労働で対価を手にしたいし、
そして感謝してそれを使いたい。

 

話が逸れたね。
戻そうか、だからわたしは資格をあまりに持ちすぎている人なんか信用できない。

なぜなら、本当に料理をうまくなりたいなら、
100のレシピを習うより、
10のレシピを何度も何度も作る方が学べるからだ。
心理療法も同じこと。
一つの技法を突き詰めていくと、
ある日ふっと、別の技法がうまくなっているのに氣が付く。

それが本当の学び。
それが本当の手にした実力。
わたしから奪えないもの、だ。

だからあなたも当然奪えてないし、
真似すらもできていない。

 

文章がわたしは下手だから、あの人はうまいから胡麻化している、だから言葉を真似したら…いやいやいや、わたしは文章は読めば誰でもわかるが上手くはない。

ただ、自分の言葉なだけだ。
誰の言葉でもない、わたしの心から出た言葉だからだ。
本心から出た言葉だから、時に人は読むと心が揺さぶられる。
それだけブレているあなただ、そりゃ揺さぶらるだろう。

 

最後に締めくくる。
某番組が言うプロフェッショナルとは?
という問いかけをわたしになんぞする人はいないが
重要だから書いておく。

自分惚れ込んだことを、
答えが見えなかろうが
単純作業だろうが
誰にもかえりみられなかろうが
真摯に実直に誠実に、
繰り返し繰り返し、あきらめず続けられる人


一生かかっても完璧な技が出来た、なんて
数回あれば幸せなんじゃない?
というかそもそも完成なんて、
分かったなんて、思えるかどうか。

探求すればするだけ増えるのは”わからない”
なんだから

 
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